それでは、また明日 | ナノ
 帰路

 

そんな茨戸からの帰路は、佐久楽にとってただひたすらに胃の腑を痛めつけるものになった。

聞くには、茨戸での争いで生き残った者は多くはなかった。日泥は言わずもがな、馬吉も死に、他にも多くの死者が出たようだ。
日泥の息子も、拾った命をどう使ってゆくのか知らないが、これからはあの妾と全く違った人生を歩んでゆくのだろう。

とまぁそんなことは佐久楽にとって然程大きな問題ではない。
そこから日泥の手下だった男達がついて来たこともいい。土方に心を鷲掴みにされたとあればもはや完全に佐久楽の同士だ。
むしろ永倉や土方の勇姿を見ることができず己の配置を呪っていた佐久楽にとって、一部始終を側でしかと見ていた夏太郎達の話は、まさに地獄で仏、渡りに船。飛び上がらんばかりの喜びようで、歳が近いという事もあってか話を聞くうちすっかり打ち解けてしまったほどだ。

問題は…と佐久楽は少し離れたところを歩いている人物を盗み見た。
小銃を持った暗い目の男。
男の狙いはやはり二人に取り入ることだった。だからこそ、永倉たちと一緒に行動していた佐久楽も殺されなかった。
刺青人皮が手に入ったことは良い。しかしあろうことか、永倉と土方の二人は男の言った用心棒はいらないかとの申し出を受け入れてしまった。
その結果がこの大所帯だ。ざっと行きの倍になっている。

あの時、佐久楽が問答無用で切り捨てていれば、こんな怪しい男を近づけずに済んだはずだ。

隙だらけな己の頭が恨めしい。とは言えどんなに悔いてももう遅い。土方が首を縦に振ったのなら佐久楽は黙って従うのみだ。どんなに気に入らなかろうとそう決まったのだから。しかしこの道中、断ってしまえば良かったのでは、との言葉をかれこれもう数十回は呑み込んでいる。

思えばこの男には、鰊番屋で永倉らがやって来た折り、佐久楽がうっかり捻じ伏せられたことまで売り込みのだしに使われたのだ。佐久楽としては非常に面白くない。
元を正せばまずこんな男に後れを取った辺りから面白くない。子供騙しに引っかかった己にも、その後も阿呆のように後をついていった己にも腹が立つ。そしてまんまと良いように使われたと知るなら尚更。

「いつまで唸ってる気だ?」

揶揄されいつの間にか険しい顔で男を睨んでいた事に気が付いた。はっとして眉間の皺を払うように首を振れば、ニヤリと面白がってでもいるように男の口元が歪んだ。

「…貴様、本当は何を企んでいる?」

そもそもこの男、何か他に魂胆があるのではないのか。話の裏どころか、裏の裏の裏まで勘ぐってしまう。

「別に、何も謀っちゃいねえよ」
「………」

本当か嘘か、どこまで信用するべきか。そもそもそれだけの価値があるのか。

一度足を止め、身体いっぱいに息を吸い込むと、佐久楽は小走りで男の前に回り込んだ。進路を阻まれた男はその表情に乏しい眉を僅かに寄せたように見える。

「永倉佐久楽だ」

こちらも負けずに嫌そうな顔をした佐久楽が改めて名乗り直すも、差し出された手に一瞥をくれただけで、他に反応らしい反応も見せないまま男はついと佐久楽を避け歩きだす。

無視か。

嫌味のようにたっぷり距離をとって追い越して行った男に、ひくりと片頬のみならずこめかみ迄が引き攣った。

「おい。おい、せめて名前くらい教えたらどうなんだ」

追いすがる佐久楽に応えもしなければ視線の一つも寄越さない。

「お前の名は?」
「………」
「お、ま、え、の、名、は?」
「………」

だんまりを決め込む男の隣に進み出て無理矢理視界に入ろうとすれば、合わせたように顔がそっぽを向く。右が駄目なら左から。左が駄目なら右から。それが余程鬱陶しかったのか、行きつ戻りつしていた佐久楽の顔を、つっかえ棒かと思うほどに伸ばした腕で押しやり、男は言った。

「蠅みてぇだな」

言って羽虫を払う仕草で手を振って見せる。生まれて初めて例えられた生物の名に、佐久楽は口を開け呆然とその背が遠のくのを見ていたが、やがて言葉が呑み込めると耳まで真っ赤に染め上げた。男を追いかけ、ふざけるなとばかりに食ってかかる。

「――ッい、要らぬことはよく喋るくせに!お前の会話は亀の息継ぎよりも少ないな!?」

信じられない。会話らしい会話を拒むばかりか、人の神経を逆撫でるのがそんなに楽しいか。

「これから行動を共にするのなら名くらい知っておくべきだろう!?というよりも不便だ!単純に!」
「佐久楽」
「なんでしょうか!」

くわっと火の粉を撒き散らさんばかりに振り向いた先には永倉がいた。上った血がざっと音をたてて降下する。

「やかましい」
「………はい」

低温を極めた一言を受け、先の剣幕はどこへやら、すみませんでしたと青ざめる。
いきり立っていた犬が叱られ耳と尾をしゅんと垂れさせたような具合に口を閉ざした佐久楽だったが、ふと視線を感じ振り返れば根性のねじくれたあの男がこちらを見ていた。
目が合いふんと鼻で笑った男を見て、佐久楽の目が吊り上がる。

あいつッ…!!

流石に再びくってかかるような真似こそしなかったが、一度落ち着こうと閉じた瞼の奥で男をしこたま殴りつけておいた。そんな想像の中ですら男はにやにやと腹を煮えさせる笑みを作っている。

これからこの男も共に暮らすことになるのかと思うと、輝かしくなる筈の日々が急に陰りを見せたような気がした。



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