「お願い。跡部さんと、話をさせて…」
彼女の瞳になど逆らえない。逆らえるはずもない。意志が強く現れた瞳であった。
「…ここで話すこと。それなら構わない」
ジャージを翻し、近くにあるベンチに座る。
幸村は、彼女が来たその時から諦めていたのかもしれない。日向からの主張。それは珍しいことで、叶えてやりたいというのがやはり本心だ。他の部員も各々その辺に座りだし、皆で聞く体制に。
「ここでも構いませんか?」
低くなり、跡部と同じように膝を折り、互いがしゃがみこむような姿勢となった。
跡部の蒼い瞳と日向の赤い瞳が一瞬絡み合う。
吸い込まれるような感覚になりながら、跡部はすぐさま視線を下へと向けてしまうのだ。
「…すまなかった、」
ポツリ、風によって届いた言葉。
悲しげに、ただ彼女の耳へと入ってくる。
「俺はお前に酷いことを沢山言って、沢山傷付け、そして泣かせた。お前が何をされてもただ見ているだけで…俺は最低だ。いくら頭を下げても足りないくらいのことをした、」
地面をキッと睨む。
今さら日向の顔など見れないと跡部は感じているのだろう。
「大切なお前を忘れ、笑顔を消した。俺は、お前の笑顔が何より好きだった…だが、それを壊したのは俺だ。本当にすまなかった…」
跡部の姿は滑稽で、王様を名乗るにはとても不釣り合い。
彼はまるで民だ。
王族に頭を下げるただの民。
「許してくれとは言わない。だが、もし…もし叶うならば、俺の名を呼んでくれ…そして、笑ってくれ…」
視界に写りこむ地面と同じように膝をついている日向の白い手の甲がじんわり滲んだ。雫が瞼にどっぷり溜まるのが分かる。
日向はとても弱く脆い生き物。
勿論、強いところもあるが、心はガラス細工のように壊れやすい。心優しい彼女を誰よりも知っていたと思うからこそ、跡部は怖かった。
彼女を傷付けたことが、笑顔を奪ってしまったことが。
何も言わない彼女に跡部の心はどんどん焦る。不安に駆られ、可笑しくなりそう。
だが、日向の両手は跡部の肩をゆっくり捕らえ、そして軽く触れた。
「景吾、くん」
跡部はハッと驚き、顔を上げた。
ふわりと目を細め、一筋の涙を流す彼女は日だまりのような優しい笑顔をしていた。
跡部が見たいと願っていた笑顔。
跡部の大きな手を日向の小さな手が包むように被さる。温かい温度が跡部の心を酷く落ち着かせた。
「私のこと、覚えていてくれてありがとう」
感謝の言葉。
日向から感謝を述べられると思っていなかった跡部は心底間抜けな顔をしている。無論、立海の部員達も。
「何で、ありがとうなんて俺に…」
瞳は疑問を抱いている。どうして、どうしてだとでも言っているようだった。
しかし対象的に日向は優しい笑みを浮かべている。
「謝る必要なんてないんだよ…?私ね、嬉しい。私のこと覚えていてくれて、」
ふふふ、と微かに笑い声を漏らす。
「私、景吾くんの笑った顔、すごく好き。だから景吾くん、笑ってよ、」
へなりと眉を下げ、笑う日向は少しだけ変な顔。
跡部は目を大きく開き、彼女の表情を見つめていた。やがて、彼の目はぎこちなく細められる。
「っ本当…変わんねぇな…日向、」
キラリと跡部の瞳には膜が張ったような気がした。
日向はその様子を見ることなく、瞬く間に人間の温もりに包まれる。ふんわり匂うこの香りは跡部らしい高級感のある香り。ぎゅっと強く強く抱き締められていた。
「日向、日向、日向…」
過去を思い出すかのように何度も何度も彼女の名を呼ぶ。日向は弱々しい手で彼の服をぎゅうっと握った。