授業中も放課中も、日向はずっと上の空だった。
吉田と柴崎には何度も何度も大丈夫か、保健室に行くか、など聞かれたが、彼女は大丈夫だとだた一言。隣の仁王からの視線は途切れることなく、彼女を見つめる。時折、口を開きかけるが、言葉を発することなく「何でもない」と言うだけ。
『誰だ、お前』
冷たいコバルトブルーの瞳が頭から離れない。彼の言葉は氷柱のように彼女の心に突き刺さっていた。
ボーッと瞳を濁した日向はいつの間にか放課後を迎える。悲しげな目をした彼女を吉田と柴崎は勿論、仁王や丸井も心配そうに眺めていた。
フラフラと校門までの道のりを歩く姿は虚ろで、何かあったとしか考えられない。
「日向先ぱーい!」
細身な彼女を後ろから勢い良く抱き締めるのは可愛い後輩。
「切、原くん…」
えへへ、と笑う切原に日向の心は少しだけ安堵の色を浮かべる。
「今から部活行く途中なんですけど、日向先輩見つけて走ってきちゃいました」
「そ、うなんだ。わざわざありがとう…」
にこり笑う彼女の顔はぎこちない。切原は不思議そうに首を傾げる。
「先輩…何かありましたか?元気なさそうですけど…」
ドキリ、と日向は体を跳ねさせる。
「もしかして誰かに何かされたとか!?誰ッスか!?」
「ち、違うよ。何にもないから、大丈夫」
切原はじとっと日向を見ると、納得いかないといった顔をする。ぶすっと膨れ上がる切原に日向は困ったような表情をした。抱き着いたままの切原は怒っているのか分からない。
「こーら」
アルトの声が響くと、切原は大袈裟にビクッと肩を揺らした。日向も切原と同じような反応をする。
「日向を困らすうえに抱き着くなんて、赤也はいい度胸してるね」
「ゆゆ、幸村部長!?」
ベリベリと日向から剥がされた切原は「あー!!」と情けない叫び声をあげていた。
「仁王やブン太、赤也には後でお仕置きをしてあげなきゃ」
「部長〜…勘弁して下さい!」
にこりと恐ろしい笑みを浮かべる幸村に切原はダッシュでテニスコートまでを急いだ。
「俺の日向なのになー。ね、日向…?」
幸村は日向の頭を撫でながら、彼女の顔を覗き込むと心底驚いた顔をした。
「…お前、何があったんだい?」
「えっ…?」
ふざけていた雰囲気はここにはなく、幸村の顔つきが真剣そのものとなっていた。
「気が付かないわけないだろ。そんな顔されて」
一件、普通に笑っているような気がするが、日向の笑顔は明らかに違った。日だまりみたいな彼女の温かい笑顔はない。悲しげに儚く笑っているだけだった。
「何も…ないよ、?」
精一杯の笑顔は脆く、消えゆく花びらのよう。
幸村は彼女の頬に手を添えて、視線を反らさせないようにする。
「俺は日向が大切なんだ。そんな悲しい顔されて、心配しないわけない。一体、何があったんだい?」
言ってしまおうか。
日向は一瞬だけそう考えた。
「(でも、)」
出てきそうになる涙をこらえ、日向は弱々しく、へなりと笑ってみせた。
「何もないよ」
幸村の手を初めて振り払う。
それだけでも死ぬほど心が痛くて、消えてしまいたくなった。
幸村の切ない顔が目に焼き付き、隠れて涙を溢す。
「(…ごめんなさい、)」
涙は地面に零れ、跡を作った。