「景吾くん、だよね…?」


涙を溜め込み、日向は嬉しそうに顔を輝かせ、男の元へと駆け寄った。


「私っ、小学生の頃に景吾くんの家で仕事をした陰野日向、です。覚えて…」


スッと長い指で日向の口は止められる。日向は思わず息を詰まらせた。



そして、







「誰だ、お前」






大きな鉛を頭にぶつけられたような、そんな気分だった。



「俺はいちいち雌猫の顔なんて覚えてねぇ。気安く名前を呼ぶな。呼んでいいのは愛美だけなんだよ」


「やだ景吾ってばぁ!」と言う姫野の高い声だって日向には何も聞こえなかった。
ただ絶望、悲しみ、様々な感情の渦が彼女の中を葛藤する。



どうして、そう彼に言おうとした時




「いっ…!」



ドンッと壁へと打ち付けられた。
背中の痛みを感じ、歪める顔を忍足侑士が恐ろしい笑みで見下ろしてくる。



「いつまでここにおるん?知らん言うとるやないか。ほんま、しつこいやっちゃなぁ」
「忍足さんっ…!あんた!」
「何や日吉。お前はそっちの味方なんか?なら容赦せぇへんで」
「…!!」


日吉にも何かするつもりだ。
日向は悟った。姫野の敵に回るなら、仲間でも潰す気だ。



「…日吉くん、芥川くんとテニス、してきて下さい」
「なっ…!何言ってるんですか!俺が貴方を守るとっ、」
「私なら!」


日向の大きな声に日吉は動かしていた口を止める。


「私なら大丈夫だから。だからお願い…」


日吉は引き下がるしかない。
これは日向の覚悟だ。誰にも止められないし、止める権利もない。


「…分かりました。怪我でもさせたら俺は貴方達を許しませんから」


ギロリと日吉は睨みを効かせると渋々テニスコートへと去っていった。



日吉が見えなくなったのを良いことに姫野は思い切り泣き真似を始める。


「みんな、日向ちゃんをいじめないで!愛美が我慢すれば良いことなの!」


優しすぎるいい子を演じる。
それは日向だ。立海の彼等はそう思うが、ここは氷帝。そうもいかない。


「愛美は優しすぎるねん。ほんまええ子やわぁ。それに比べて…!」
「っ…!」


髪の毛を掴まれ、無理矢理、顔を上げさせられる。
ギギギギ、と引き抜く勢いで忍足は髪を引っ張る。



「(景吾、くん…)」



跡部は黙って日向が痛み苦しむ様子を眺めている。身体的な痛みより、それが何より日向の精神を追い詰めた。




「お、おい…!いくらなんでもやりすぎだぞ忍足!そいつが何かしたって決まったわけじゃねぇだろ!」



忍足はちらりと声がした方向へと目線を投げ掛ける。



「…宍戸もそっちの味方なん?」
「敵とか味方とか、そんなんじゃねぇよ!酷すぎるって言ってんだよ!こんなことして恥ずかしくねぇのかよ!」
「…岳人、鳳。宍戸も向こう連れてったり」


忍足の言葉に向日、鳳は複雑そうな顔をした。悲しげに目を合わせると、宍戸を連れ、テニスコートへと連れていく。宍戸は何度も怒鳴り散らしたが、忍足は全くの無視だった。



「さぁて…邪魔もんはおらへんことやし、続けてええよな、跡部」
「…好きにしろ」



そしてまた髪を掴まれる。しかも今度は前髪をだ。




「(目を、見られる…!)」



案の定、忍足は彼女の前髪をガッと上げ、自分の近くに彼女の顔を持ってくる。



「…!」



バチッ、と真っ赤な瞳が忍足の瞳と絡み合った。
跡部は目を見開いて、彼女の顔をじっと見つめ、忍足は初めて見るオッドアイに驚いているようだ。



「な、何や…自分、目の色ちゃうねんなぁ。へぇ、何や、化けもんみたいで気持ち悪いわ」




化け物みたい。

気持ち悪い。

寄らないで、化け物。

あんたなんて生まなきゃよかった。



思い出す過去の悲惨な記憶。




「(泣くな泣くな泣くな)」




涙を堪える彼女の唇からは血が流れていた。



「化けもんには、消えてもらわなあかんな」



にこり笑う忍足の手が再び彼女の髪を握る。壁に押し付けられ、日向は身体の自由が効かない。




もう、いいや。




諦めかけ、目をスッと閉じた。









「何しとるんじゃ」


聞き覚えのある声に閉じていた目を開く。



銀髪が眩しく、後ろで小さく束ねてある髪はチョロチョロ揺れていた。







「仁王くん…?」
「おん。日向ちゃんの王子様参上ナリ。と言っても偶々氷帝に用があって来ただけじゃがな」


忍足からするりと日向を奪い取ると、自らの腕の中に閉じ込めた。日向を抱き締めると、ギロリと仁王の目は細く鋭く忍足達を睨む。



「ほぉー…やってくれたのぅ、氷帝」
「あっ、あの!あたし、姫野愛美って言うんですけど、貴方は〜…」


ここぞとばかりに姫野は仁王に寄り添う。甘い声を出し、くねりと身体をくねらせる。


「何じゃお前さん。俺に寄るんじゃなか」


ひくり、姫野の口元は片方だけ口角を上げた。仁王の拒絶の目は姫野に何故虜にならないと疑問を植え付ける。



「…今日は何もせん。じゃが、次日向ちゃんを傷付けたら容赦せんぜよ」



仁王はそれだけ言い残すと、日向を支え、氷帝学園のテニスコートから出ていった。静かに、隠れて涙を流す日向を見て、仁王はよりいっそう彼女を強く抱き締める。







「…何や仁王の奴。随分あの女に入れ込んどるやん」
「…」
「跡部?」
「…あ、ああ。いや、何でもねぇよ」
「(あいつ絶対許さない!)」


| ≫

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -