深い深い闇が広がっていた。



学校のはずだが、学校ではない。そのような場所だ。先ほどまでの屋上が別世界のようだった。



例えるなら、鏡の中。




「仁王くん…?」



不安定な世界で、自らの目線の先に仁王を見つける。色のない瞳でぼんやり屋上のタンクにもたれ掛かっていた。

日向は仁王のいるタンクへと登り、一歩一歩と彼に近付く。

距離が縮まると、ぼんやりしていた仁王の瞳が厳しいモノに変わった。



「誰じゃ」



普段の気の抜けた声からは想像出来ないほど低い声。ギラギラと光る彼の銀髪が異様に眩しい。

ビクリ、仁王の迫力に少し怯えてしまう。遠慮がちに日向は声を発した。



「あの、」



日向の姿を見るなり、仁王は更に顔をしかめる。分かっていることだが、やはり悲しいものだ。



「何の用じゃ」
「ここを、出ましょう」



仁王に手を差し出し、なるべく優しく、やんわり言う。



「ここは何じゃ」



ちらりと手を見たが、取る気配は微塵も感じられない。



「…ここは、境界です」



この世とあの世の境目。
日向はここを境界と呼んでいる。危険な場所だ。


「仁王君は負の感情を感じとられ、境界に来てしまったと思います。ここは危険です。だから出ましょう、?」



もう一度、手を差し出す。



しかし、



パシン



「っ…」




強く弾かれた。

思ったより強かったらしく、日向の手の甲はぷくりと赤く腫れ上がる。



「俺は、おまんにだけは助けられとうない」
「えっ…?」



ギロリと仁王は睨みを利かせた。日向はその瞳に暫く動けなくなる。



「おまんは俺の居場所を奪った」
「仁王、くん?」
「俺が何年もかけて築き上げてきた絆に、ひょっこり入ってきて、俺の仲間を奪っていった。俺の場所を…おまんは、」


悲しみと悔しさが混ざった声に彼女は困惑する。



「おまんが柳生と話しとるのがイライラする!幸村や赤也っ…テニス部の奴らに話しとるのを見るのがムカつくんじゃ!」
「に、仁王く、」
「弱虫で臆病者のくせに、テニス部の奴らと普通に話して笑っとる顔が、嫌いじゃ!」



仁王の日向に対しての暴力的な言葉は止まらない。口を開けばどんどん出てくる彼のこに日向は辛そうに聞いているしかなかった。



「俺は、陰野日向が、」



仁王の言葉を待つ。




「大嫌いだ」




誰もいない辺りにはその言葉だけが、繰り返されるように響いた。


仁王は全ての感情を吐き出し、日向の顔を見る。



泣け。他の女みたいに泣き喚け。


そう思っていた。








「知っています」

「っ、は?」



予想外の言葉が返ってきて、仁王はつい間の抜けた声を出してしまう。


眉をへなりと下げ、日向は笑うのだ。仁王の心に罪悪感ご少し生まれるが、すぐにそんな感情を捨てる。



「私は、感情に疎い、です。でも、仁王くんが私を嫌いなことは分かっています」


日向は困ったように頭を掻く。サラサラした彼女の髪が少し崩れた。



「なら、何で…」



俺を助ける?



投げ掛けた言葉は彼女の耳にしっかり届く。

嫌われていると分かっていて助けるなど、そこらのお人好しでもなかなかしない。まして仁王が出会った女は自分の傷付くことを避ける。自分が一番可愛いから。



「君は、戻らないとダメなんです」
「なん、」
「沢山の人が君の心配をしていいます。それは、君が大切で、必要だから」


つらつら並べられた彼女の言葉は自然と耳に入っていく。日向は普段口下手だ。が、こういう時は舌が上手く回るらしい。



「テニス部の皆さんは、部活が終わってから遅くまで仁王君を探しています。今日なんか部活をお休みにして、ずっと仁王君のこと探していますよ」

「っ」


立海テニス部は勝つことが掟の絶対王者。そんなテニス部が練習を休みにしてまで自分を探している事実を知った仁王は涙が出そうだった。



「それに家族だって…とても心配していますよ。自分を大切に育ててくれた家族を心配させちゃいけません。さあ、戻りましょう」


日向は仁王の背中をトンと押し、出口を指差した。出口は光輝いており、やみに包まれたこの場合とは大分違う。



しかし、仁王は可笑しなことに気が付いた。



「…お前さんは、いかんのか?」



自分を前に出してくれたのはいいが、日向はそこから一歩も動いていない。

仁王の問い掛けに驚き目を見開くが、やがて日向はにこりと笑う。



「私は、後でいきます」



笑顔が儚く消えそうなモノに見えたのは仁王の勘違いなのか。



なかなか行かない仁王を今度は強く押した。



「なっ、」
「仁王くん。私は、君達の絆には入れません。入れるわけないんです」



仁王は光輝く方へ吸い込まれるように消えていった。




闇にポツリ、彼女が浮かぶ。




「私には、そんなのいないよ」




仁王に彼女の呟きは聞こえたのだろうか。


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