ポタポタとまるで大雨にうたれたかのように日向の艶やかな髪から、ピチャリ、またピチャリと水滴が流れ落ちる。 そして聞こえる笑い声。キャハハと甲高い声が耳にキーンと残った。早くこの場からいなくなれ、そう願わずにはいられない。

高い声が扉が閉まると同時に消え去ると、彼女は走った。ここにいたくない。誰にも見られたくない。無我夢中だった。途中で誰かに声をかけられた気がしたが、構うことなく走り続けた。

そうして、今はどこかの公園。


膝の上に置く拳を日向はぎゅうっと握り締める。唇を噛み締め、涙を耐えた。ギリギリと握る拳からは血が出てしまいそうだ。

何故、こんなことに。

彼女はいつものように学校へ行き、いつものように授業を受け、いつものように友人と楽しく過ごしていた。それだけだったのに、ただトイレの個室に入った瞬間、豪雨のような水が上から降ってきたのだ。

制服はびしょ濡れで、もう暑いにも関わらず、日向は冷えきっていた。いつかこんなことが起きるなんて分かっていたのに、防げず、逃げてしまった自分に腹が立つ。悔しい。



「…寒い、」



自らの体を抱き締め、寒さだけではないかもしれない震えを止めようと必死に摩擦を起こす。こんな惨めで弱い自分を誰か助けて、なんて叫んでしまいたくなった。

仁王や丸井や切原の不安そうに揺れる瞳。それを隠して接してくれる柳生やジャッカル。心配そうに、だけど何も言わない柳や真田。いつも通りに優しくしてくれる友人たち。

そして、酷く冷たかった幸村のあの目。


ぐるぐると頭の中を駆け巡り、消えてくれることなんてない。自分で何とかすると決めた。助けは求めたらいけない、一緒にいるために。


でも、誰か、










「アーン?雨にでもうたれたのか。姫さんよ」



ふんわりと肩にジャケットが被せられる。温かさと薔薇の香りに日向はとうとう泣いてしまいそうになった。目の前の彼は綺麗なアイスブルーの瞳を優しく細めていた。



「今日は雨なんて予報ねぇがな」
「景吾くん、」



跡部景吾は彼女のびしょ濡れで滑稽な姿を見て、少しだけ鋭くアイスブルーを歪ませる。頬に触れるとそれはとても冷たかった。弱々しく名前を呼ぶ彼女を跡部は抱き締めずにはいられない。これでもかと言うほど優しく大切に冷たい日向をぎゅっと抱く。



「景吾くん…、私、」
「言わなくてもいい。何があったかなんて聞かなくても分かる」


日向の声は微かに震えていた。跡部は大丈夫だ言わなくてもいいと何度も何度も繰り返し言う。分かっているのだ。彼には全て。彼女が何故びしょ濡れなのか、何が起こっているのか。強く強く抱き締めた。


「1人で頑張ろうって決めてたんだよ…?」
「…そうか」
「でも、結局何も出来なくて…、私はっ」
「…」
「水かけられて、怖くなって、逃げ出して…!」
「あぁ…日向。お客さんだ」
「えっ…?」


指の示す方向には立海の制服が複数。こちらに駆けてくる。跡部は日向を庇うように前に立つ。彼女は跡部のシャツをぎゅっと握った。



「跡部か。日向は裏にいるのだろう」
「柳…、あぁ、いるぜ」
「だったら早く返してもらうぜよ」
「断る、と言ったら?」


その時、切原がはぁ!?と荒々しく声を上げたことに日向が少しビクリと肩を跳ねさせた。ビリビリした空気が伝わる。ただ、幸村はだいぶ後ろの方にいて、跡部はそれに少なからず不信感を抱いていた。

跡部が何を言い出すのか分からなくて、日向は不安になる。嫌な汗が出る。


「…何故だ?とお前らは言うだろうな」


跡部の言葉に立海は喉を詰まらせる。何故だと思うのは当たり前だ。だが跡部にとっては理由など1つで充分だった。



「日向、何でこんなに悲しそうなんだよ」



彼女の顔が強張る。ついシャツを握る手に力が入る。何を言い出すんだ。分からない。



「お前たちは何をしていたんだ?こんなにコイツがぼろぼろになるまで」



立海は何も答えられない。何もしていないからだ。いくら日向が大丈夫だと言い張っていたからとは言え、何か1つくらいは出来たはずだ。それなのに、と口を閉ざす。


「俺も日向を悲しませた。だから名を呼んでくれたあの瞬間から守るとまた誓ったんだ」


自分が犯した罪を悔やむように、シャツを握る彼女の手を優しく包む。悲しげな顔や流した涙を忘れないように、しっかりと触れた。


「外では守れる。だが学校の中では何も出来ねぇ。不本意だがお前たちが頼りだった」


それなのに、と跡部は瞳を鋭くした。嫌な予感はよく当たる。日向はこのあと彼が何を言い出すのか何となく察する。



「何で何もしなかったんだよ。お前たちが守らねぇで誰がコイツを守るんだよ」
「景吾くん…!ちがっ、」
「何で泣かせてるんだよ…、何で、日向が泣いてんだよ!」



跡部が声を荒げるのを日向は久しぶりに聞いた気がする。違うんだよと言いたいのに、言えない。何が違うのか分からないこともあるが、何より跡部がこんなに感情を剥き出しにして怒り、その瞳を歪めたことに動揺をしたからだ。



「…お前らは一旦頭冷やせ。日向はしばらく預かる」
「何で跡部さんにそんなこと言われなきゃ…」
「帰るぞ、みんな」
「柳さん…!?何で、!」



全員反対するかと思ったが、意外と言うかやはりと言うか柳が一声かけた。切原は目を充血させた状態で、柳の方を振り向く。他の皆も同じように振り向いた。納得いかないメンバーもいるが、柳の顔が驚くほど落ち着いていたことに何も言えなくなった。


「流石、参謀と言ったところか?」
「俺は頭を冷やすだけであって、決して日向のことを諦めるつもりもない」
「フン…」
「行くぞ。…精市も」


精市。その名前を聞くだけで思い出す言葉。「嫌いだよ」とただそれだけが頭から離れない。幸村は名前を呼ばれると跡部の後ろに隠れる彼女に一瞬だけ目をやり、躊躇しながらもその場を離れた。何か言いたげであったが、それが何かは分からない。




立海のメンバーが去ったところで、跡部は裏にいる日向と向き合う。



「…どうして景吾くんはあんなこと言ったの?」
「何故だと思う?」
「分からないよ…、私には、」



立海のみんなに誤解をされたのかもしれないと彼女は少なからず恐れていた。解決する前に嫌われでもしたら、どうしたらいいのか。分からなかった。跡部の考えが。



「…1人で頑張るんだろ?」
「…えっ?」
「さっき言ってたじゃねぇか。1人で頑張ろうと決めたって」



最初に彼女は確かに言った。頑張ろうとしたのに、と。跡部はポンと日向の頭に手を置く。彼女はその温かさに涙がじわりと溢れる。


「あいつらは強く言わねぇと言うことなんか聞きゃしねぇだろ?」
「…景吾くん、」
「1人でやると決めたなら最後までやれ。立海の連中とどうこうなるのかは、それからでもいい」


跡部の行動は彼女を思ってのことであった。1人で頑張ろうと決めた彼女の意志を尊重するため、強く言葉を投げた。そうでもしなければ、立海のメンバーが聞くはずもない。


「もしも奴らが許してくれなかった時は、すぐ氷帝に転校だな」
「…ふふっ、それは、ちょっとなぁ」


やっと、やっと彼女が笑った。それだけで跡部の心は酷く安心する。温かくて、優しい気持ちになった。涙をそっと拭ってやると、目がちょっとだけ赤くなっていたのが見える。


「でも、まあしばらく預かるってのは本音だ。今日は家に来い。いいな?」
「えっ…、でも…」
「ちなみに拒否権はねぇ」
「…ありがとう、景吾くん。お邪魔します、」






(早く追い付くから、)
(それまで待ってて下さい)


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