麻の中の蓬

オーラ、名探偵の用心棒です。


 共に来るかと言われた時には、思わず固まった。

 とても優しい人だから、この後ろ暗い仕事に嫌気が差していたのは知っていた。この立場を捨てて生きる算段さえ付けば、孤高の一匹狼はさっさと消えてしまうのだろうとも。
だから同僚とはいえ、こんな小娘に手を差し伸べてくれたと理解した時には本当に驚いた。剣だこだらけの掌が頼もしくて、温かくて、それが嬉しくて嬉しくて嬉しくて――――


『――――うん、行く。ゆきちゃんとずっと一緒に行く!』



 身の丈180cm越え、銀髪にギラリと鋭い目つきが特徴的な男が、それはそれは不機嫌そうな顔つきで往来を進んでいる。その隣りを不釣り合いにもてこてこ歩く金髪の女児は、連れの内心と周囲の震え上がる様子とを見比べ、子供にあるまじき凄まじく微妙な表情をしていた。自分たちの通り道からざぁあっと人が捌けていく様を眺めつつ、原因となった男の足をぺちりと叩く。

「モーセかよ……」
「……? 何か云ったか」
「なんでもなあい」

 カンラン石を思わせる透き通った緑の瞳で、男――福沢諭吉をじろりと睨み上げた後、ふいと諦めたように視線を正面に戻した少女。小さな連れの明らかに「なんでも」なくは無さそうな様子に、はてと首を傾げる福沢。けれども、呆れてはいても大して怒っているわけではなさそうな挙動に、まあいいかと自分も同じように正面を向いた。……険しいままのその顔を見て、通行人はまた声なき悲鳴を上げるわけだが。

 歩き続けていると、「株式会社S・K商事」と書かれた看板が見えてきた。少し前に会ったばかりの依頼人女性の顔を思い浮かべて、少女――かすがは、小さな眉をしゅんと下げる。
 厳しい物言いをするところもあったけれど、決して悪い人ではなかった。福沢にちょびっと色目を使ったところは気に食わなかったが、自分も危うい立場にあるというのに現場をうろつくかすがを気にかけたり、菓子をこっそり与えたりしてくれることもあったのだ。未だ生々しい血痕の残る「現場」を、2人して僅かに目を伏せてから通り過ぎる。

 しかし昇降機を使い到着した最上階の社長室では、それまでの感傷をすっ飛ばすような珍妙な光景が広がっていた。
 床をぴっちりと並んで埋め尽くす、書類書類書類書類――――ここは本当に殺人現場か。意味が分からない。

「やあご足労頂いて済みません。少々お待ちください、すぐに済みますので」
「――何をしている?」

 思わずといった具合に、福沢は思わず疑問の言葉を溢す。
 当然の質問を投げかけられた、2人を出迎えた人間……つまり亡くなった女社長の部下にしてこの会社の副社長である男は、それに対しても「書類をね、整理しているんです」と何の説明にもなっていない返答をよこした。福沢の方は(内心はどうあれ)眉一つ動かさなかったが、かすがは半目になって小さく鼻まで鳴らす。部屋の状況も返す言葉も頓珍漢なうえに、服装まで変てこりんときた。何てったって室内だというのに丈の長い長い外套を羽織ったまま。おまけにそのまま書類を床に並べだすものだから、片方の手で裾をたくし上げつつ片手でひたすら紙切れを整頓するという、真に奇妙な作業の仕方をとっているのである。
 当人には余程の地獄耳でなければ聞こえないほどの音と距離だったが、耳聡く聞き取った保護者は膝で隣りの子供を軽く小突いた。無言で窘められた少女はぷうと唇を突き出したが、特に口答えはせずだんまりを決め込む。

 男が言うには、なんと大企業の社長を、厳重な警備を潜り抜けて殺害しおおせた暗殺者――つまりは異能を持つ可能性がある人間を、縄で椅子に縛りつけただけで隣室に放置しているのだという。何というアグレッシブ自滅だろうか。ゆきちゃんに迷惑だからよそでやれ。……顔には出さずともそんな感じの偏った毒をかすがが心中で吐いていると、大人たちの会話はこれまたおかしな方向へと転がったようだった。

「では一時的に、通り道の書類だけ棚に戻せば」
「それも駄目です。この部屋の書類はすべて規則性を持って並べられています。この並べ方そのものが、犯人の狙いを看破するための重要な方法論(メソドロジイ)なのです。日付別、部署別、重要度別……この部屋全体が一個の目録なのです。社長に引き抜かれる前、前職で私はこの技術を学びました。これは私のほかには、社内の誰にも真似できません。戻し方にも規則性があり、一度崩せばその分社長殺害の真相から遠ざかってしまいます」

 何言ってんだこいつ?

 露骨に表情に出ていたであろうが、先ほどのように小突かれることはなかった。今度は福沢も全く同じ顔をしていたから。
 しかし真剣な秘書の顔を見た彼は、『門外漢の自分には分からないが、どうやら会社経営とはそういうものらしい』と納得してしまったらしく、ふむと小さく顎を引いた。32歳にしてその素直さは何なの?とちょっぴり引いた養い子の胸中などお構いなしに、福沢は「行くぞ」と彼女に声をかける。その流れで漸く子供の存在を思い出したとでもいうように、秘書の男はハッとした表情で、福沢と女児の間に視線を行き来させた。

「え、えと……申し訳ないが、お嬢さんはこの部屋で待っていてくれるかい? まさか福沢さんのように、書類を巧みに避けて移動してもらう、なんてわけにもいかないからね」

 秘書のさりげなく無茶苦茶な要望に微妙な顔をしつつも、幼い子供への気遣いとしてはごく当たり前な言葉をやんわりと押し戻したのは、かすが本人ではなく隣りの保護者だ。

「……問題ない。此奴も『それなり』に鍛えている」

 ぽんぽんと腰ほどの高さしかない位置にある小さく丸い頭を撫でると、褒められたと理解した本人はぱっと顔を輝かせる。「んふふふふひひひふふぅ」と鈴の鳴るような声で奇っ怪な笑いを漏らしたのち、抑えきれない興奮を表現してか、ぺちぺちとその場で謎の足踏みをした。そんな幼児の奇行を無言かつ無表情で見ていた福沢だったが、頭に乗せていた手にはほんのりと力が加わる。


 お花の飛ぶ空気について行けない1名だけが、困惑丸出しで来客2人の顔を交互に見つめていた。
 
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