安寧の日々なんて二度と戻らないと思っていた。寧ろ学生時代が幸せすぎたのだと納得さえしていたのだ。彼が脱獄したのだって自由を得る為ではなかったし、だからまさかお互いの誤解がとけ、その上元の鞘に収まるなんて考えてすらいなかった。
「リーマス、起きろ!リーマス!」
凛とした心地好い声が、ぼうとした頭に響く。もう朝らしい。少し動けば、目を閉じていても差し込む朝日が眩しかった。
正直昔から朝には弱いが、早く起きなければ仁王立ちで私を睨んでいるであろう彼の機嫌を完全に損ねてしまう。
「……おはよう、シリウス」
「……ああ」
何と返せばいいのかわからないのだろう。シリウスは視線を宙にさ迷わせる。そういえば彼は極度の照れ屋だった。一日たりとも彼を思わない日はなかったが、如何せん歳月が流れすぎた。また直ぐに蘇るにしろ、色々な事実が抜け落ちていた。
どうしていたっけ。
記憶を探りながら、上半身だけを起こしてシリウスを引き寄せる。不意打ちにバランスを崩した彼の顔は目の前だ。迷うことなく私はその唇に口づけた。
「な、」
直後、頬を紅潮させたシリウスに突き飛ばさる。懐かしいやり取りだ、彼があまりにも学生のままで、驚いたくらいに。
眠気はすっかりと覚めた。次には、にっこりと笑ってやればいい。
「酷いな、おはようのキスだけど?ほんの挨拶じゃないか」
「しなくていい!」
「でも、私はしたい」
「ば……!」
力無くうなだれたシリウスは、そのまま私の身体に体重を預けた。胸元に顔を埋めながら、尋ねる。
「……もう少し、寝ててもいいぞ」
恐らくは、私の体調を気遣かってのことだろう。昨晩は満月だったから。シリウスは優しい。
お言葉に甘えたいところだが、頷きかけて、部屋を漂う良い匂いに首を振った。――本当に久しぶりで、知らず泣きそうになる。
「大丈夫だよ。折角君が用意してくれた朝食は、覚めないうちに食べておきたいから」
この気持ちも、抱きしめた体温も、何もかもだ。
望んではいけない。長い間諦めていた、有り触れた風景を、もう手放したくはない。
シリウスもそう思ってくれていれば、私はこの上ない幸せ者だ。