単に寒いから。寂しいから暖め合っているだけなのだ。少なくとも、益田はそう思うようにしている。 でなければ、彼らの関係が成立し得ない。それでは不都合だ。
夜更け過ぎ。どう考えても非常識な時間帯に、控えめだけれどしつこく玄関の戸を叩く音がした。こんな風に青木の部屋の戸を叩く人間は一人しか居ない。 突然押しかけて来た益田を、青木はこれ以上無いという位に冷たく見返す。そうして、無言のまま淡々と部屋に招き入れた。
「茶は出ませんよ。…で、何の用ですか」
中途半端な優しさが心地よい。益田はその頬に軽薄な笑みを浮かべて、「追い出されちゃいました」とだけ言った。
「追い出された?」 「僕の顔は見たくないんだそうですよ。参りました、今日は仕事が残ってたのに」
益田は億劫そうに上着を脱ぐと、部屋の主である青木に断りもせずハンガーに掛けた。 青木はそれに迷惑そうな一瞥をくれてから、テーブルを挟んだ益田の向かいに腰を下ろす。 寝支度をすっかり整えていた室内には、おあつらえ向きに布団が一組敷いてある。こんな時間に訪ねてくるという事はつまり、益田は今夜ここに泊まるつもりなのだろう。青木はうんざりと溜め息をついた。
「じゃあ、大人しく自分の下宿に帰ったらどうだい。君が追い出されようと何をされようと、僕には全く関係ないじゃないか」 「それがね、関係あるンですよ」
皮肉の色を多分に宿した瞳を青木に向けて、益田はまるで悲しんでいるかのように、口元を歪めた。
「視られちゃったんでしょうね、きっと―――思い出していたから」 「何を」 「馬鹿ですか。分かってるくせに聞かないでください」
ひどく傷付いたんですよぅ、と白々しく吐き捨てて、益田は席を立つ。何事かと青木が訝しみ、その後姿を目で追う。益田は図々しくも台所へと踏み込んで、薬缶に水を入れると火にかけた。
「おい」 「お茶くらい構わないでしょう。僕が淹れますから」
いかにも勝手知ったる、という様が憎らしかった。日常として慣れきってしまう程、自分達が互いの部屋を行き来しているのだという事実を、目の前に突き付けられたような気がした。 青木は忌々しげに小さく舌打ちする。そうして自らも立ち上がり、流し台のシンクに手をついていた益田を後ろから抱きすくめた。
「わ、ちょっと青木さん…!」
益田は驚き、首だけを捻って振り返った。その顔をまじまじと見つめ、青木はぎゅっと眉間にしわを寄せた。
「何を思い出したんです。よりによって、榎木津さんの前で」 「何って…」
「そういう顔をするな。僕は君を慰めてやる気はない」
耳元でぼそりと呟かれ、益田は目を細めた。どんな顔をしていたのか、益田自身には分からない。だが大体の予想はつく。 無理な体勢で抱きしめられながら、何故自分はここへ来てしまったのかと後悔した。
「あなたこそ、こんな事しないでください。――…困るじゃないですか」
単に寒いから。寂しいから暖め合っているだけなのだ。益田も青木もそう思っていた。 でなければ、彼らの関係は破綻してしまう。そんな事になっては不都合だと、そう思っていた。
end
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