!注意:益田妊娠ネタです。
おめでとう、と口々に皆が言うのを、益田は呆然と聞いていた。いや、単に皆の声が聞こえていた、という方が正しかったかもしれない。益田の聴力に特に問題は無いのだが、如何せん彼の精神が状況を受け入れきれておらず、いわば解離状態となっていたのだった。 随分と個人の主張が尊重される世の中になっていたとはいえ、未だ同性愛はマイノリティであり、一部の地域ではタブー視すらされている。そんな中、男性が妊娠するというのは可能でこそあれ、ごく稀な事例であることに変わりはなかった。 「よかったねぇ、益田くん」 「益田さんおめでとう!」 「男の子でしょうかね?それとも女の子かなあ」 友人らの悪意のない祝福の言葉。このような社会で、それは貴重であり感謝すべきものであったに違いない。しかしながら、それは虚しくも益田の耳を素通りしてゆくばかりだった。 嬉しげに細められた目。温かい視線をまともに受け止めきれずに、益田は俯く。 混乱する。 男でありながら、腹に命を宿している。それは、益田の男としての尊厳を根底から覆すものだ。 あれはいつの日だったか。熱気の籠る寝室で脚を大きく割り開かれ、身体の奥深くに射精された感覚を、彼はありありと思い出していた。何度も抱かれながら、性の境界は限りなく曖昧になった。 男の身で、愛する男の子どもを孕む。それは益田へ幸せよりも先に恐怖をもたらした。同じ雄に犯され、征服される屈辱と歓喜は、少しずつ益田の常識を狂わせていく。 (だって、そんな) 今益田が宿しているのは、彼が愛してやまない男との間に授かったものなのだ。 それなのに。 なぜ怖い。なぜ厭わしいのか。 そして同じ分だけ嬉しい。今まで味わった事もないような幸福感に満たされている。こんなにも心を乱される。素直に受け入れたら良いものを、なぜ。 「僕は、」 益田が何ごとか言いかけたその時、ばん、と扉を開ける音が乱暴に響いた。 病室に飛び込んできたその男の姿に、益田は目を見開く。 「……あおきさん」 「は、はぁ、ま、益田くん、きみ、妊娠したって…?」 息も切れ切れにそう問いかける青木の顎を、つうと汗が伝った。よれよれのシャツに緩められたネクタイ。普段の彼からは想像もつかない姿に、なんともいえない衝動が沸き起こる。 「青木さん、なんで」 「なんでじゃないよ…さっき連絡がきたんだ、それで」 本当なの?と問いかけた青木の声は、今まで聞いたこともないくらい甘かった。 どう反応したら良いものか分からず黙り込んだ益田を、青木は怪訝な顔をして見つめる。少しかがんでその頬に手をかけると、戸惑って安定しないその瞳をしっかりと覗き込んだ。 「ぼ、僕は…、ねぇ青木さん」 たまらず呼びかけたのは、真綿で包まれるような感覚が堪らなく恐かったからだ。すがるように、頬に添えられた手を、益田はぎゅうと握り締めた。 「どうしよう。どうしたらいいんですか?」 「…ああ」 納得したように頷いて、青木は低く笑った。益田の目に滲んでいた涙を片方の手で拭って、その額に軽く唇を落とす。次いで赤くなった鼻を啄ばんで、最後は引き結ばれた唇にゆっくりと口付けた。そこからじわじわと広がった温もりに、益田が心の中で必死に守っていた矜持は、簡単に崩れていく。周囲の人間などまるで無視して、青木が囁く。 「益田君。普段はあまり言わないけど、大切なことだから言っておくよ。 僕は君を愛している。恐くなくなるまで一緒に居る。君には僕の子どもを産んでもらうよ、絶対に」 青木の子を授かったと知らされた日。青木の言葉を聞いた瞬間。 その時初めて、益田はそれまで抱えていたものを全て放り投げて、大声で泣いた。
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