ふと目を覚ますと、隣で同衾していたはずの男の姿が無かった。ぼんやりと時計を見る。午前三時。一人分のぬくもりが消えた布団はそれだけで寒々しい。無意識に彼の姿を探した僕の手は虚しく宙を舞い、パタリと枕の上に落ちた。
「…益田君?」
当然ながら、呼び掛けに答える声は無い。ゆっくりと泳がせた視線は、自然と台所へと行き着いた。
* * * * *
榎木津さんの夢を見た。 夢の中で僕は、いつもと変わらぬ日常を過ごしていた。なんの事は無い内容だったが、青木と寝た夜に見るものとしては、充分に悪趣味だと思う。 目が覚めた瞬間視界に飛び込んできた彼の寝顔が無防備過ぎて、胸がきしんだ。瞼を閉じていると、いつもの冷めた眼差しが隠されて、造作だけは優しげな彼の童顔が際立つ。
彼のなだらかなカーブを描く額が好きだ。鼻の形が好きだ。薄い唇が好きだ。たとえ、それが、開かれた瞬間酷薄な台詞を吐くのだとしても。
「あおきさん、」
薄闇の中、その唇に自分のそれを重ねた後、急に馬鹿馬鹿しくなって僕は布団を出た。 薬罐をコンロにかけて、ぼうっと灯るガスの青い火を見つめる。 熱さなんて全く感じさせないくせに、その実酷く激しい。まるで彼そのものだ、と思った。 彼が好きだ、とても。 しかし、それはあまり口にすべきではないという事くらい分かっていたし、わざわざ伝えるつもりも無かった。敢えて均衡を崩して何かを得ようなどと、そんな気には到底なれない。変化は求めない。代わりに、せめて今の関係くらいは保っていたいと願うのは、卑屈だろうか。
「益田君」 「ぅ、ひゃっ」
突然背後から声をかけられ、僕は竦みあがった。慌てて振り返ると、不機嫌そうな顔をした青木がこちらを見つめていた。
「青木さん、吃驚させないでくださいよ…」 「それはこっちの台詞だよ。何をしてるんだい、こんな夜更けに」
相変わらず感情の見えない声音で呟き、青木はカチリとコンロの火を消した。
「あ、」 「そんな事してないで。さっさと寝ますよ」 「でも…」 「寒いんですよ」
ぐいと手を引かれ、無言のまま寝室へ誘導される。あっという間に布団の中へ引きずり込まれた。すっかり冷えてしまった身体を背中からぎゅっと抱きしめられると、知らず鼓動が乱れた。耳元で、くすりと笑う気配を感じた。
「どきどきしてる。恥ずかしいの?」 「ばっ…違いますよ」 「あまり、心配させないでくださいよ」
何を心配したと言うのか。肩越しに振り返ろうとしたが、なんだか少し怖くなってやめた。 彼がどんな顔をしているのか、僕をどんな目で見ているのか、それを確かめるのは、やはり怖かった。
「…青木さん」 「うん?」 「おやすみなさい」
おやすみ、と短く返された後、うなじに穏やかな寝息。背後に温かな体温を感じて、僕はほうと息をつく。 ゆるゆるとやって来た眠りの波に身を任せながら、瞼を閉じた。
今夜はもう、榎木津さんの夢は見ないだろう。
end.
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