※青益パラレル/設定:1900年代、長崎の高校生
(小さい頃は、夏休みの登校日は全国共通で八月九日なのだと思っていた。そうではないと気付いたのはごく最近――高校に入学してからだった)
八月の日差しは暴力的で、こちらの生気を根こそぎ奪ってしまいそうな程激しい。益田龍一は額に流れる汗を腕で拭いながら、ぎらぎらと容赦なく照りつける太陽を振り仰いだ。
「原爆が落ちたのも、こんな日だったのかな」
ふいに呟いた言葉に、少し前を歩いていた彼の友人が大儀そうに立ち止まる。ゆっくりと振り返ったその顔は、いかにもうんざりしたと言いたげな、気だるいしかめっ面だった。
「何」
ぶっきらぼうに問いかけられ、益田は咄嗟に言葉に詰まった。 普段はにこにこと笑っていることの多いこの友人は、益田に対してだけ、時折こんな態度を取る。何を考えているのかさっぱり分からないが、そもそも分かりたいとは思わない。仕方の無いことだと思考を中断し、益田は気を取り直して再び口を開いた。
「何って、だから原爆だって。聞いただろ今日の話」 「知らないよ」 「ええ? …なんか、どうしたの青木君。怒ってんの?」
青木と呼ばれたその友人は、別にと小さく呟いてから、益田を冷ややかに見つめた。糊のきいた真っ白なシャツがやけに眩しい。
彼らの生まれたこの県は、原子爆弾の被害を実際に受けた二つの地域のうちの一つだった。県内の多くの学校は、この地に核が落とされた八月九日を登校日とし、戦争と平和について学ぶ。ご他聞に洩れず、益田と青木の通う高校でも同じようにそれは行われた。二人はちょうど今、全てを終えて下校している最中だ。
「不謹慎だな、と思っただけだよ。先生の講話なら聞いたさ。そのための登校日なんだから」
再び歩き出した青木を追うようにして、益田も歩を早める。
「やっぱり怒ってる」 「怒ってないよ」
急な勾配の坂を下りながら、二人は不毛な問答を続けた。石畳の坂道は、ぎらつく陽光をそのまま照り返す。傍らの雑木林からは、セミがひっきりなしに耳障りな鳴き声を響かせていた。 暑い。煩い。そして理不尽だ。 救いようの無いこの状況に、益田は何となく苛々してきた。青木の不機嫌が彼にも伝染し、それはひどく攻撃的な感情へと姿を変える。彼は前を歩く青木の背に向かって、敢えてその神経を逆撫でするような言葉を選んで話しかけた。
「全然不謹慎なんかじゃ無いよ、僕だってちゃんと考えてる。確かに原爆は僕達の住むこの地域に、悲劇的な結果を生んだと思うよ。でも、全体的に見れば、それが終戦のきっかけになったのも事実で――…」 「益田君」
益田の饒舌を断ち切って、青木は前を向いたまま歩みを止めた。抑揚に欠けた、疲れきった声だ。
「僕のじいさんはクリスチャンだった。原爆が落ちたあの日は、ちょうど浦上天主堂で神に祈りを捧げてる最中でね。ひとたまりもなかったそうだよ――教会内に居た人は、みんな死んだ」 「……ごめ」 「いちいち言葉にすることじゃないんだよ。終戦のきっかけだとか何だとか、そんなものは論外だ。僕達はここに生まれて、ここで生きてるんだから」
益田の謝罪など全く無視して、青木は言う。胸にずしりとのしかかってくるような、重い言葉だ。益田はぎゅっと唇を噛み締めると、青木の腕を後ろから掴んだ。
「何? 暑苦しい」 「ごめん」
青木が手を振り払おうとして身体をよじると、真摯、というよりは恐れを含んだ眼差しでこちらを見つめる益田と目が合った。その瞳には、友人の地雷を踏んでしまった気まずさがありありと浮かんでいる。戦争や人の命についてより、今の自分と友人の関係にしか感心を向けられない目の前の男が、青木には無性に煩わしかった。そして同時に、相手をめちゃくちゃにしてやりたくなるような、獰猛な欲求が沸き起こる。
「手、離して」
冷徹に命じると、眉をひそめたままの益田が、緩慢な動作で青木の腕から離れた。その隙を逃さず、青木は思い切り益田の制服の襟を掴む。驚愕の声を上げた細面を軽く一瞥してから、彼はずるずるとその身体を路地裏へと引きずり込んだ。 息を荒げて抵抗するのが鬱陶しい。彼は舌打ちして、益田の唇を無理やり己のそれで塞いだ。
「な…っ」 「別に怒ってないし、これ以上嫌いになったりしないから安心していいよ。…もともと君のことは好きじゃないから、もう落ちようが無い」
そう囁いて笑った青木の顔は、益田が今まで見たこともないような、恐ろしく酷薄なものだった。 益田は大きく溜息をつき、力の無い眼差しで相手を見つめた。その頬に複雑な表情が浮かぶ。 くだらない。それまでの真剣な話は一気に転落し、思春期の子供の戯れ事に成り下がってしまった。 彼は自分から、青木の首に手を回して口付けた。
「わけ分かんないよ、青木君」
end.
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