明慧寺が燃えた。
まるで終焉を彩るかのように、極彩色の炎が、その檻を燃やした。
やつれた頬、崩れた前髪。いかにも疲れきったという顔をしているくせに、何故か瞳にだけは真っ直ぐな光を宿した山下の姿が、そこにはあった。 明らかに常の彼とは違う雰囲気を感じ取った益田は、ただ黙ってその場に立ち尽くすしかなかった。
声がかけられない。これは以前の山下ではない。 ヒステリックに喚いて、己の保身や出世にしか興味が無くて――それでいて、誰かに縋らなければやっていけない、駄目な男。 彼はそんな男だった。それなのに、この変わり様は何だ? (何やってンですか、山下さん) 小さく胸の内で呟くと、そこからじわりと痛みが広がった。
最初に彼を見限ったのは益田自身だった。次に、益田を山から下ろして自らと切り離したのは彼だった。 互いに互いを遠ざけた。所詮益田にとっても山下にとっても、代用のきく相手だったのだ。それだけの関係という認識しか持っていなかったくせに、益田は今、得体の知れない苛立ちに襲われている。 その顔は何だ。あれだけ居丈高に振舞っていたのは誰だ。肩書きに固執して、ついでに部下にも固執していた、あの馬鹿な男は何処にいったのだ。
何やってンですか、あなたは。
口をついて出そうになる罵声を、益田は無表情を保ったまま飲み下す。その行為自体は容易になし得たが、とにかく不愉快だ。こんな凶暴な衝動が己の中に在ることを、彼は今まで知らなかった。 「山下さん」 「…あァ、益田君か。もういいから、他の応援に行って」 「何がいいんですか」 「え?」
何がいいんですか。 事件が終結を迎えた事? やっと肩の荷が下りたって所ですか、結局あなたは失脚したのに。 どうして平気でいられるんですか。
何があったんだ。僕が、あなたと離れている間に―…
「…いいえ、何でもないです」
吐き気をもよおしたかの様に込み上げてきた言葉の数々を、もう一度飲み込む。益田はそれきり黙って、山下に背を向けて現場の応援へと駆け出した。振り返ることはしない。無意味だ。 あれだけ彼らを覆い尽くして閉じ込めようとしていた山が、火の粉を散らし、吹き上げ、赤く染まる光景が未だ網膜に焼け付いて離れない。全てが灰になった。 思ってもいなかった事態に右往左往する警官達の中に飛び込む一方で、益田は自身だけがそこから乖離してしまったような、あまり気持ちの良くない感覚を覚えていた。
彼の預かり知らぬ場所で、世界は崩壊してしまったのだ。否、初めからそんなもの存在していなかったのかもしれない。 今となってはどちらでも構わない。些細な問題だ。
益田は足場がじわじわと崩れていくのを、案外冷静に受け止めていた。
end.
|