京極 | ナノ



 日もすっかり暮れてしまった春の夜は、生温い日向の匂いをそのまま残している。この季節はどうにもいけない。なにもかも境界が曖昧で、そのくせ無理やり変化と向上を強いるのだ。
 まるで、常人ですら狂ってしまいたくなるような陽気と華やぎが疎ましかった。

 柔らかく霞んだ空を窓硝子越しに眺めながら、益田は小さな吐息を漏らした。嘆息、と言った方が良いかもしれない。苦りきった表情で、彼は傍らに眠る男を見遣る。






 普段は決して有り得ないような泥酔状態で、突然アパートへ押しかけて来た男。益田がドアを開けた途端、彼は抵抗する間も与えずに、目の前の冴えない探偵助手を腕の中へと抱き込んだ。
 そうして、半ば呆然としている相手を床に押し倒したまでは良かったが、ふいにそこで動きを止めた。呆れた事に、彼は益田に覆いかぶさったまま酔い潰れて眠ってしまったのだ。


「何やってンですか、青木さん」


 相変わらずの仏頂面で、益田は青木の頬を軽くつねった。それなりに力を入れたにもかかわらず、起きる気配は微塵も無い。
 僅かに甘さを含んだ自らの行動に嫌気がさして、彼は自嘲の笑みを浮かべて手を引っ込める。次いで、もう一つ深い溜息を吐いた。

 眠りに落ちる寸前、青木の呟いた言葉が未だ頭の中をぐるぐると回っていた。
 縋るように肩を掴まれた感触。いつになく真剣な瞳や、熱い吐息。


 そして、耳元で囁かれた言葉。



「……青木さん」

 返事が無いのを承知していながら、益田は小さく男に呼び掛けた。

 明日の朝、一体彼はどんな顔をするのだろう。自ら発した言葉は覚えているのだろうか。
 たとえ知らぬ振りをされたとしても、益田には、到底確認など出来そうに無かった。
 それは、互いにとってあまりにも危険をはらんだものだ。

「聞けるわけ、ないでしょう」

 期待をしている己が厭わしく、笑えるほど惨めだ。青木にだけは絶対に知られたくない、自らの葛藤がそこにはある。
 唇を噛み締めて、益田はゆっくりと瞬きを数度繰り返した。
 浅はかな防衛本能が警鐘を鳴らしている。



 ――そうして青木のささやかな告白は、いとも簡単にその存在を否定された。







end.



春宵(青益)



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