京極 | ナノ



「なぜあの人なんですか」



 言った瞬間に後悔した。
 無意識に零れ落ちたその言葉は、全くの愚問だった。
 それは僕に一切関係の無い問いであったし、はなから答えなど欲していない。それなのに思わず口にしてしまったのは、彼のあの人に対する態度に、わずかだがある種の苛立ち(不快感か?)を感じてしまったからなのだろう。
 だが、その時の僕の心理状態について深く考える気は無い。考えても意味が無いし、そもそも専門外だ。
 僕の複雑な感情を見透かしたように、彼――益田は口元を緩めて、例の下品な笑い方で僕の問いを一蹴した。

「そんなこと聞いてどうするんですか。馬鹿だなァ、青木さん」
「君に馬鹿だと言われたくはないがね」

 冷たく返す。益田はシャツだけを羽織っただらしない格好で、薄い布団の上に寝転がった。狭い布団に大の男が二人、いかにも事後といった様子で同衾している――なんとおぞましい光景だろうか。ふいに襲ってきた吐き気を得意の無表情で殺して、僕は努めて冷酷に益田を見つめた。
 立春を過ぎた頃とはいえ、朝夕の冷え込みは言うまでも無く厳しい。益田はぶるりと震えて、わざとらしく僕に身を寄せた。気持ち悪い。

「…よしてくれ。触るな」

 嫌悪感も露わに拒絶する。益田は何だい傷付くなぁ、などと嘯きながら、更に僕にしなだれかかってきた。切れ長の瞳が笑っている。薄く開いた唇から覗く八重歯に、何故かひどく興奮した。

「益田君、いい加減にしないと殴るよ」
「かまやしませんよ。――…ねぇ、青木さん」

 おどけていた声が、少しだけ真剣なものへと変わる。見ると益田が自虐的な笑みを浮かべて、僕からすっと身を引いたところだった。

「なぜあの人なのかって、聞きましたよね?」
「…もういいよ」
「いいえ」

 僕の言葉をさえぎる様にして言う。悲痛な台詞のはずなのに、それはどこか夢見がちな、陶酔感に満ちている。

「僕が榎木津さんを好きなのはね、あの人が絶対に僕のことを好きになったりしないからですよ。あの人が見ているのは、もっと別の人だから。僕の方を絶対に向かないからこそ、彼は僕の“神”たり得るんです」

 ゆっくりと口の端を吊り上げる益田の頬に、ほんの少しだけ哀しげな影が落ちる。いい加減嫌気が差してきた僕は、その複雑ながらも恍惚とした表情を無感動に見つめた。
 僕はなぜ、こんな男を抱くのだろう。この男は僕の慕うその人とは似ても似つかない外見をしていたし、性格だって全く違うというのに。
 気持ち悪かった。彼との関係に理由を見出せなくなっている僕も、“神”に邪な劣情を抱く彼も。全てが不自然に歪み、何一つすっきりしない。

 ぎりりと歯噛みした後、益田の顎を掴んでぎりぎりまで顔を寄せた。そうして覗き込んだ彼の瞳は、思いのほか澄み切っていて、冷ややかだった。

「君は何がしたいんだ」

 思わず呟いた言葉の意図を、自分でも判断しかねる。眉間の皺を和らげようとでもするかのように、益田がふいに、そこに口づけた。

「な―…」
「僕ァね、青木さん。あなたのそういう所がとても嫌いです」

 行動と矛盾した言葉。訳も分からないまま僕は、激しい羞恥と怒りに駆られた。尚も言葉を続けようとする益田を強く押さえつけ、噛み付くように口づけてその唇を塞ぐ。歯列をこじ開け舌を絡ませると、彼がくぐもった声をもらした。

「…ほら、ちゃんと目開けてくださいよ」

 一度激しい口づけから彼を解放し、いつのまにか苦しげに閉じられていたその瞼を、唇で愛撫してやる。意外にも優しい仕草で促され、少し不審そうに彼は目を開いた。

「青木さ、」
「しっかり見ないと駄目だろ、益田君。君がどれだけ浅ましい行為をしているのか、榎木津さんに視て貰ったらいい」
「――っ」



 迷っているのはお互い様じゃないか。
 かすかに引きつり、歪んだ益田の顔に、僕はひどく安心した。








end.



茨の花束を君に(青益)



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