ご神木に負けないくらい大きな桜の木。
それに咲く桜は、どれも花が開ききっている。
「佐助さんっ、早く早く!」
「はいはい」
先頭をきるあどけない少女。
その後ろを、苦笑いを浮かべながらついていく俺。
「青空ちゃん、そんなに急がなくても桜の木は逃げて行かないって」
「それでも、早くですっ」
にっこりと、無垢な笑顔を俺に向けながら駆けてゆく。
その足が、桜の木の下で止まった。
小高い丘の上。満月。夜桜にはもってこいの夜だ。
「わぁ…!」
思わず感嘆の溜息を漏らす青空の横で、俺は町を見下ろした。
俺や旦那のいた世界とはかけ離れすぎている、この世界の日常。
ありえないものが多すぎて、戸惑うときも多々あった。
「綺麗ですね…」
しかし、横にいる少女のお陰で、俺はこうして生きている。
「青空の方が綺麗だけど?」
「っ!?」
「なんて、くさかったかなぁ」
桜よりも濃く、頬を桃色に染める。
ホント、可愛すぎてどうにかなっちまいそうだ。
この木の下に腰を下ろすと、夜とあって、花々は顔を隠していた。
夜風が頬を撫でる。ともに、薄桃色の花びらが宙を踊る。
「旦那達にバレてないかねぇ」
「小太郎君辺りなら気付いてそうですよね」
この場所に来るために、夜中こっそり抜け出してきた。
まぁ、気がついたとしても場所まではわからないだろ。
ふと、青空が俺の肩に寄り添った。
「私、桜は好きです。でも、切なくさせられます」
おぼろげな月を見つめ、呟く。
「やっと咲いたかと思っても、すぐに散っちゃう。なんて、寂しいじゃないですか」
本当に、読めない子だ。
いつも通りの口調なはずなのに、辛そうなんだからさ。
「今こうして佐助さんと一緒にいる時間も、桜みたいに散って終わっちゃう。すぐに、ですよ」
少女とは思えないような考え方。いや、今は少女じゃないか。
下ろされた髪。紅い唇。潤んだ瞳。透き通るような白い肌。真っ直ぐな、心。
コイツは、十分に女だ。
「そして貴方がこの世界にいる時間も、桜と一緒な気がしてきちゃうんです」
青空の手を握っていた俺の手が、少し反応した。
「もう、終わっちゃうんじゃないか。桜を見るたびにそう考えるようになっちゃいました」
また、風が吹いては薄桃色の欠片を飛ばす。
「…怖い」
風が止んだ。
「貴方がこの世界から…私の目の前から消えてしまうのが怖い…!」
震える声。肩。そっと抱き寄せれば、猫のように摺りついてくる。
「青空、顔を上げてくれ」
俺の頼みを素直に聞き、ゆっくりと俺の胸元から顔を覗かせた。
目は潤み、一線、涙が伝っていた。
それを見たあとは、口付けをすることしか考えられなかったんだ。
「んっ…佐助さん…」
「青空…」
何度も、何度も、啄ばむような接吻を交し合う。
回数を重ねるごとに、長く、深くなる。
どちらからともなく、互いを求め合うのは世の理のはずだ。
風が桜の木々を、枝を揺らす。
名残惜しそうに唇を離すと、目と鼻の先には愛しい青空の瞳。
柔らかい髪には、何枚か花びらを巻き込んでいる。
こつんと額同士をぶつける。
「青空、好きだぜ。誰よりも…お前を愛している」
「佐助、さん…好きです。大好きです…!」
何よりも目立つ満開の桜の木。
忍べそうも無いこの時期の桜は真っ白に綺麗過ぎて、好きでもあり嫌いでもあった。
そう、目の前のこの少女のように、真っ白だ。
「…知ってる?綺麗な桜の木の下には、死体が埋まってるらしいぜ」
「…今そんなこと言わないでください」
「もしかしたらそいつは、俺が殺したかもしれないんだぜ」
青空から反応はなかった。
「俺は忍だ。本当はこうやって、好きな女を抱きしめることさえ許されねぇ」
私情は殺す。それが忍の掟。
「けどさ、青空と出会っちまったら、んなことどうでもよくなっちまったぜ…」
もう、どうにでもなれ。
「青空、結婚してくれ」
突然の…ぷろぽぉず、だっけ?
それに驚いた青空は、目を丸くして俺を見上げた。
「結婚なんてさ、俺には縁のない話だと思ってたけど…もうそんなこと考えるのはやめた」
「佐助さん…」
「離したくない。もう、失くしてたまるかよ…!」
こんな姿を見られたら、俺は笑われるか、殺されるだろう。
「佐助さん、顔を上げて」
優しい手が、俺の頬に触れた。
目を合わせれば、青空の瞳は今にも泣きそうだ。
「お願い…どこにも行かないで…ずっと、私の傍にいてください…!」
彼女の瞳が閉じ、一粒の涙が零れ落ちる。
そして、誓いの口付けを交わした。
「ああ、例え神サマが俺を元の世界に連れて行こうとしても、俺は抗う」
壊す。運命を。
「絶対に勝ってみせる…あんな神なんかに負けない」
決した。心を。
「この平和な世界で、お前と共に生きたい…!」
望んだ。夢を。
この桜の木の下で誓った約束は、片時も忘れることなかれ。
勝因は、想う心の強さ。
なら、負ける気はしねぇよ。
勝敗はいずれこの手の中
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