「何処だよ…ここ」
この数十分のうちに何回呟いたか分からない言葉を吐き出した。
高校に入って初めて過ごす寮部屋の夜。
今まで兄弟で同じ一部屋を使っていた私に、この閑散とした一人部屋はなんだか落ち着かなくて。
浮き足立った私はなかなか眠りにつけず、夜の散歩と称して敷地内探検でもしよう!…と
自分が重度の方向音痴であることを忘れていたのだ。
否、迷うはずが無いと、高を括っていたのかもしれない。
三月下旬の夜はまだ寒く、焦り始めた私の呼吸が白く零れる。
薄着で出てきた私はどうしようもない馬鹿だ。
…もともとこの学校に入れたのも奇跡と等しい。
急に込み上げてきた寂しさを誤魔化すように、何と無く見上げた空。
溶けていく吐息はよりその感情を煽って…でもなんだか綺麗に思えた。
私はこの時初めて外に出てから夜空を見上げた気がする。
ゴチャゴチャとしていた頭が嘘のようにクリアになって。
道に迷ってることなんか忘れてしまうほどの魅入る星空が広がっていた。
東京では濁ってしまっていた星々の煌めき、月の輝きが、木の並び立つガランとしたこの空間を照らしている。
「…」
「誰かいるのか…?」
「…ッはい?!」
こんな時間に出歩いているのは自分だけだと思っていた私は異常な程に肩を揺らした。
振り返った先には光を集めてキラキラと輝く真っ赤な髪。
紅玉、琥珀…それぞれの色をした二つの瞳がこちらをジッと見つめながら歩み寄ってくる。
側まで来たその人は思ってたよりも、背が高かった。
そんな彼は何も言わず此方を見つめるばかりで、先程の問いに対する返事を待ったいるのだと理解した。
「うまく眠りにつけなかったので…散歩でも、と」
そう言えばゆったりと目を細め、静かに僕もだ。と、口角をあげる。
綺麗に笑う人だと、思った。
そんな彼が星を目に移すから、私もつられる様に空を見上げた。
彼の横をついて歩く。
「月、大きいな。」
「大きい、ですね」
この人何年生なんだろう。
聞きたいことは沢山あるのに、口から漏れるのは白い息ばかり。
相手のいうことの鸚鵡返しと、目が合うたびに微笑まれ小さく笑みを返すことだけ。
なんだか自分が自分じゃ無いみたいな不思議な感覚に包まれた。
なのに何故だろう。
さっきは嫌に思えたこの冷たさも、内側に広がっていたはずのわだかまりも
今は心地よいものへと変わっている。
そんな時間をどれだけ一緒に過ごしていたんだろう。
暫く歩いているうちに見覚えのある道へ出た。
そこで彼は立ち止まり私を見る。
「そろそろ部屋に戻ろうか。」
その一言で私たちは小さく手をふり、それぞれ背を向け歩き出した。
数歩行ったところで、やはり名前だけは聞いておきたいと振り返り吸った息が言葉となる事は無かった。
何を察したのか既に此方を振り返っていた彼が、流れるように人差し指を口元へ運んでいき、ゆったりと微笑んだのだ。
「おやすみ」
目を見開く私にそう一言残して、彼は再び背を向け歩き出す。
遠ざかって行く揺れる赤髪が小さくなるまでそっと見つめていたが、ここから見える寮に向かって自分も小走りに進だす。
名前も聞けなかったのに、胸には何とも言えない満足感の様なモノが広がっていた。
空には風に揺れる天鵞絨が相も変わらずに輝いていた。
((新しい教室で笑顔の君と出会うのは、まだ先の話だ))