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「何度言わせれば分かるの! どいてって言ってるでしょう!」

「で、ですから、どこのどなたなんですか!」

相手が叫ぶように、声を声高く、大きくするものだから、ついついこちらまで叫ぶような調子になってしまう。相手が興奮しているときこそ、こちらは冷静でなくてはならないのに、いけないとは思いつつ、私は戸の前で揉み合っていた。


――遡ること、半刻。

着替えも無事に終わり、私は白菊を呼ぼうと声をかけたが、反応がない。仕方なく、白菊の自室から顔を出してみると、そこにいたのは見知らぬ、見るからに身分の高そうな女性と鉢合わせしてしまった。目が完全に合ってしまったし、どうやら、この部屋に入ろうとしていたようだと思った私は何の用かと尋ねた。しかし、その女性は私が部屋にいたことで明らかに狼狽した挙句、私を押しのけ、無理に部屋に入ろうとしたのだ。こちらとしては、用向きが何であるかわからない以上、通すわけにはいかない。

……それに。


私は両手を広げ、立ちふさがりながら、女性を見据えた。腹に力を入れ、はっきりと拒否する。

「どなたかも存じ上げない方を白菊番頭の自室に通すわけにはいきません。失礼ですが、白菊番頭の許可は得たんですか?」

「っ、う、煩い! こっちはね、ここの常連なのよ!?」

真っ赤になって狼狽えているところを見るに、了解を得ていないらしい。何が目的かはわからないが、不当に白菊の部屋に入ろうとしていたのは本当のようだ。

私は深呼吸を一つして、女性を見据えた。

「関係ありません。この部屋は、白菊番頭の自室です。何人たりとも、本人の許可なくしては入れません」

「生意、」

「――どうぞ、お引き取り下さい」

女性は顔を歪め、ぐっと詰まった。わなわなと引き結んだ唇を震わせている。派手に化粧した目がきっと吊り上がった。――不味いかもしれない、と頭の隅で後悔がひょっこり顔を出す。


「あ、あんた、見ない顔だけど…、し、新米のくせに、生意気なのよ! こっちは客よ! 何様のつもり?!」

更に甲高くなった声と共に吐き出された言葉の標的は、私だ。興奮したせいで、女性の目がギラギラと狂暴に光っている。背筋がひやりとした。

――ああ、どうしよう…。不味い不味いと焦るが、あとのまつりだ。


「その格好…、使用人ね!? し、使用人風情が、このあたしにっ、命令するっていうの!?」

女性が手を振り上げる。――殴られる。そう覚悟して、私は目を閉じた。


「――何してんだよ」

静かな声がして、私と女性の間に何かが滑り込んだ。トンと軽く突き飛ばされるようにして、襖に私は背中をついた。そして、そのまま、ずるずるとへたり込む。


私は口をぽかんと開けて、目の前に立つその人の背を唖然として見つめた。

「やれやれ。今日は厄日だな」

片腕で女性の平手を受けた状態で、桃が立っていた。くるりと私の方を振り向いて、呆れたような目を向ける。


「まーた、お前か…。よく飽きないな」

「お、起こしたくて起こしてるわけじゃ、」

「はいはい。言い訳は後ほどお伺いシマス。……さて、と」

桃がやれやれと女性に目を戻した。思いがけない桃の登場に固まってしまった女性の手首を掴む。


「――こんなとこで何をしてんだよ、美代サマ。ここは関係者以外の立ち入り禁止。知ってんだろ?」

「な、何よ…! た、太夫に上がったからってエラそうに…。所詮、あんたみたいな――、っ!」

目を泳がせながら、悪態をつく女性の手首を離し、桃は見下ろした。冷たい、蔑むような視線に女性は後ずさる。


「……あんたみたいな、なんだって?」

「な、何よ…? あ、あたしはただ…、」

「――ただ?」

静かに問う、桃の目が剣呑な色を浮かべ始める。うっすら笑う口元も、目が笑っていないせいか、さめざめとしていて、やけに心が騒いだ。背筋が冷えて、嫌な感じがする。

私は思わず、立ち上がって、女性を庇うように前に出た。敵でも見るような目と目が合って、怯みそうになる。


「みっ、道に迷われたそうなので、わた…、おおお俺が部屋までお連れします! ですから、えーと、」

とにかく、こいつからこの人を離さなきゃ。混乱する頭に叱咤しながら、言葉を探していると、ぽんと気安い感じで肩を叩かれた。


驚いて、顔をそちらに向けると、見知らぬ、こちらもまた桃と負けず劣らずの顔形をした男が立っていた。にこりと私に笑いかけ、くるっと桃の方に向き直る。

「――あ、いたいた。探しましたよ」

「紅蓮(こうれん)…。なんで、」

「なんでのくそもないですって。いくら待たせてると思ってるんですか。五人ですよ? ご・に・ん」

流石の俺も、話し尽きてきた上、挙句に迫られちゃって困ってるんですから。人の良さそうな笑みを浮かべて、紅蓮というらしい男は桃の肩を叩く。桃は長い溜め息をついた。


「……今、行く」

「是非そうして下さい。――おっと、」

今、初めて、女性に気が付いたとでも言うように、紅蓮が屈みこむ。腰が抜けたらしい女性は口をパクパクとさせ、少し顔色を悪くしていた。


「だっ、大丈夫ですか?! 顔色悪、」

「さ、触らないでよ! 下男あがりのく、」

「――何が、」

声量は抑えたつもりだったのに、案外、声が廊下に響き渡っていた。独り言のつもりだったそれは、しっかり三人に届いていたようで。

女性の目が私を射る。


「……何ですって?」

「……。だから、」

聞こえてしまったものは仕方がない。私は腹をくくった。こうなったら、言えるだけ言ってしまえ。口を開いて、息を大きく吸い込んだ。


「……恥ずかしくないのかって言ったんです」


心配してもらって、優しく声をかけられて。それなのに、その人を馬鹿にしたような言葉を口にする。どれほどの身分で、どれだけ偉いか知らないれど。

金があるから、常連だから、何だっていうんだ。


私は間違ってなんかいない。微かに震える声を心の中で、叱咤する。


「あ、貴方みたいな人に言われる筋合いはないと思います…!」

女性の顔が怒りのあまり徐々に引きつっていくのに耐え切れず、私は叫ぶように言った。言ってやったという、妙にすがすがしい気持ちと、余計なことを言ってしまったという後悔が渦巻く。

女性の顔が真っ赤に染まった。


「あ、あんた…、自分が何言ってるか分か、」

「――つまり、だ」

笑みを含んだ声がして、恐る恐る振り返ると、桃が愉快そうに目を細めていた。明らかに、この状況を面白がっている。その脇で、唖然と紅蓮が口を大きく開けて固まっていた。

桃は顎に手をやって、思案するような口調で続けた。


「うちの使用人が言うにはなあ、あんたみたいな汚え金を持て余した、お高く留まってる未亡人なんかに、俺達を馬鹿にされたくねえってよ」

「っ!? 一体、何様のつもり!?」

「ハッ!」


――何様、だって?


桃はあっという間に女性に詰め寄ると、にいと口端を吊り上げた。

「勿論、藍屋一の色男、美命(みこと)太夫様だよ。ばあか」

「、っ!」

女性は顔色を更に赤くして、よろけながら何とか立ち上がると、女性は逃げるように去っていった。

それを唖然と見送り、私は首をギシギシさせて振り返った。笑みをひっこめ、仏頂面になった桃と顔色をすっかり青くした紅蓮がいる。


「よ、良かったの…? あんなこと言って…」

「いっ、」

「……いいわけねえだろ」

泡を吹きそうになっている紅蓮の後を引き継いで、桃が言った。そのあっさりとした言葉に眩暈がする。


「だよね…」

「客は客だからな」

「もっ、問題はですよ!!」

ため息交じりで額に手をやる桃を押しのけるようにして、前に出た紅蓮が口を開いた。顔色がまだ悪い。


「白菊番頭が太夫だった頃からの古い馴染みだったってことです」

「ただでさえ、常連減ってるってのに…。おい、お前」

「わ、私のせい!?」

どうしてくれるんだと言わんばかりの桃の目線に、私は抗議の声を上げた。


「す、好き勝手言ったのは貴方もでしょ!」

「……一応、非は認めるんだ。偉い!」

「うっ」

「……そうじゃねえよ、ばあか」

桃が私に歩み寄り、見下ろした。


「……ありがとな」

「? は?」

「あ、ああありがとうって言ってんだよ! 二度も言わすな!」

「いや、聞こえてたんだけど…、その、」

耳から真っ赤になって怒りだした桃を前にして、私は首を捻った。礼を言われるようなことを私はしたのだろうか。


「……どう取りつくろっても、俺達は所詮、世から外れた存在だし、どう蔑まれようが仕方ねえ」

桃は私から目を逸らし、口ごもった。ぎこちなく髪に手をやっていて、何だか落ち着きがない。私も気まずくて、足元に視線を落とす。


「――お前で、三人目だよ」

「え?」

唐突に桃は髪をいじるのを止めて、呟いた。


「……そうやって、俺達のことを普通の人間みたいに庇ってくれたのは」

「わ、私は別に…、何も、」

「だから、お前は綺麗なんだな」


――綺麗な目をしてる。


そう言う桃の目が優しくて、どきりとした。お芝居の中のような台詞を吐いて、何事もなかったような顔をしているくせに、礼を言うだけで赤くなる彼を不思議だとも思った。


「……お取込み中すいません、太夫」

渋い顔をしている紅蓮が私と桃の間に割り込むようにして入った。


「――男口説いてる場合ですか?」

一瞬、思考が停止し、私は我に返った。さらしを巻いた胸元に視線が落ちる。

そうだ、男装していたのだった。


「違、っ……、がっ!?」

「――言い忘れてた。こいつがさっき言ってた白菊の補佐だ」

「ああ、太夫が拾ってきたとか言ってた…、あれってマジだったんですか?」

紅蓮がしげしげと私を見つめた。私はというと、腹に桃の肘鉄を食らい、うんうん唸っていた。


「今回みたいなことを起こすようなはねっ返り野郎だから、頼んだぜ」

「はい。っていうか、何か急に具合悪そうですけど…」

「――腹痛だ」

「腹痛?」

「大福にあたったんだ」

疑わしい目を向ける紅蓮をさっさと追い返し、桃は私の顔を覗き込んだ。


「――悪い」

「悪い。じゃないっ!!」

私がやけくそ気味に放った拳がちょうど桃の腹に当たった。それに少し呻く桃をいい気味だと思いつつ、私は桃の胸倉を掴んだ。


「一体、どういうつもり!?」

「いてえって…。いや、紅蓮にはお前が女だってことは黙っといた方がいいかなって」

「なんでよ!?」

無防備な腹に肘鉄をまともに食らって、本当に吐くかと思った。まだ残る痛みに腹立たしさがふつふつと湧いてきた。そんな私の怒りを知らないはずはないのに、桃は気にする素振りもない。


「まあ…、あいつにも色々あんだよ」

「い、色々って何よ!」

「色々は色々だろ。あいつも純に見えて、れっきとした狼さんだってこと」

世間知らずのおひいさまは、せいぜい、喰われねえように気を付けろよ。へらへら笑う桃に、私は足を思い切り踏んでやった。




(? こんなところで…、何をしてるの?)

(……別に)

(! な、なんでもないです…!)

(……。こら。苛めちゃ駄目だよ)

(なんで、俺なんだよ!!)







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