男なんて嫌いだ。女なんか、力で捩じ伏せればいいと思っているに決まっている。

だから、わざわざ人通りの多い場所を通って出来るだけ目立たぬようにしてきたというのに…。


「さあ、大人しくこっちに来るんだ。お嬢さん」

「ち、近寄らないで!」

我ながら、声が裏返るのが情けない。私が怯えているのだと確認して、男が余計ににんまりとするのが暗がりでもわかって鳥肌がたつ。

何故、こんなにも運がないのだろう。大通りの脇道に引きずりこまれたと思ったら、これだ。


――どうして、よりによって、私なの?

あんなに人が溢れていたあの中から、何故。そう、叫びたくなる。

こうなったら、いちかばちか男を突き飛ばして、大通りへ抜けようか。そう思案していたところで、男の手が伸びる。ぎょっとして、それを払おうとした手首をこれ幸いとばかりに掴まれた。

「いやっ! 離、」

「――ったく、懲りねえヤツだな」

「え?」

薄く笑う声が斜め上でしたと思いきや、手首を掴んでいた手がぱっと離された。思わず、腰が抜けてその場にへたりこむ。

何が起こったのかと視線を上げると、赤い鼻緒の男物の下駄が目に入った。


「誰だっ!」

男の苛ついたような声が意外と近く、耳を掠める。その声にさえ、私は立ち上がって逃げることが出来なかった。情けないことに腰がすっかり抜けてしまっていたのだ。


――派手な柿色地の羽織に、首にじゃらじゃらと下がった装飾品。

男と対峙していたのは、目鼻立ちの整った端正な顔立ちと切れ長の涼しげな目元が印象的な、美麗な男だった。



寂れた脇道に似合わぬ、浮世離れした派手な出立の男は面倒そうに欠伸をして、涙の浮かんだ目の端を擦る。

「朝っぱらから盛ってんじゃねえよ。ここが誰の縄張りか、知らないわけじゃないんだろ?」

「お、お前、藍のとこのだ、」

「……へえ」

派手な男の目が面白そうに細められた。「意外だな」と白々しい口調で続ける。


「――なんだ、お前。"そっち"のクチなのか?」

「なっ!」

男の顔が耳から赤くなった。仰け反るようにして、派手な男の方に詰め寄るようにしていた身を引く。それを見た派手な男は口元に手をやって笑うと、からかうように余計に男の方へ詰め寄った。


「――何なら遊んでくか? 安くしとくぜ」

「っ! お、おぼえてやがれ!」

脱兎のごとく、男は回れ右して逃げていく。それを横目で見送り、声を上げて派手な男は笑い出した。


「ばあか。こっちが願い下げなんだよ。死ね、下種(げす)野郎」

けらけら愉しげに笑った後、派手な男は手を差し出した。びくりと身を震わせ固まってしまっている私に上から声をかける。



「――立てるか?」

「だ、大丈夫です。ちょっと腰が抜けただけなので」

私はぎこちなく笑ってみせた。一応、助けてくれた人だ。いくらなんでも不愛想にするわけにはいかない。そう、いくら私が――男が嫌いでも。

しかし、いつまでも立とうとしない私に派手な男は怪訝そうな顔をする。


「? おい、いつまでそうしてる気だ? 濡れるぞ」

「……大丈夫ですから、お気になさらず」

とは言ったものの、すっかり腰が抜けてしまって、足に力が入らないのだ。昨日の雨で湿った土のせいで、尻餅をついたところが濡れて冷たい。

見かねた派手な男がもう一度手を差し出した。


「おら、手」

「……い、いえ、本当に大丈夫ですから」

「……」

何か言いたそうな顔をして、派手な男は所在なげに手を引っ込めた。そして、困惑気だった気味にガシガシと頭を掻く。


「……まどろっこしい」

「え? ちょっ!?」

派手な男がグイと私の二の腕辺りを掴んで、そのまま立ち上がらせた。急に立ち上がったせいで、くらりと眩暈がする。


「何す、」

「うるせえ。さっさと立ち上がらないお前が悪い」

「! っ、触らないで!」

布越しに触れた派手な男の体温に鳥肌が立って、私は思わず振り払った。バシッと小気味いい音がして、私の手の甲が痛んだ。

ああ、不味い。そう思った時には既に遅く、派手な男は赤く腫れた頬に手をやっていた。



「、っ」

「! ――ご、ごめ、」

「……痛え」

頬を撫ぜながら、ぽつりと派手な男はそう呟いた。そして、私を睨むようにして見据える。私は恐怖にごくりと喉の奥を鳴らし、後ずさった。派手な男は私にゆっくりと近づき、私の頭の横の壁に手をつく。

男の服に焚きしめられた香のいい香りが鼻をくすぐった。






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