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「――ようこそおいでくださいました。どういう男がお好みで?」

「……」

「? どうかされました?」

「は、初めてなものだから…、その…」

番頭らしき男に曖昧な笑みを返して、私は思わず額に手をやった。まだ玄関先だというのに、既に気持ちは帰りたいと切実に願っている。いやいや、ただ帰るわけにはいかないと私は自分を叱咤した。


紅屋に探りを入れろと桃に言われた私は、白菊のおかげで何とか位の高い武家風のお嬢様に化けていた。ここに来るのは財を持て余したお金持ちだけだからと白菊が気を使ってくれたのは正解だった。あの格好では浮くどころじゃ済まされないだろう。

勿論、いい機会だ、逃げようと考えなくもなかったが、桃に怪我をさせた負い目と、桃のあのしてやったりという顔を見返してやりたいという気持ちが勝って、これから向かう地獄の門の前に来てしまった。


たどたどしい私の受け答えに、番頭らしき男は愛想よく微笑んだ。

「初めてのご利用を当店に? 光栄でございます」

「今日は持ち合わせが少ないのでな、金は前払いさせてもらうぞ。――適当に頼む」

懐から桃に渡された金を袋から取り出して、番頭らしき男に渡した。私がこれまで持ったことのない大金に手が震えそうになる。

番頭らしき男は金色に光るそれを見て、目の奥を輝かせた。すぐに先程の笑みで隠したつもりなのだろうが、これはいい金蔓だと思っているのが見て取れる。嫌な汗が背中を伝った。


「では、ご案内致します。少々お待ちくださいませ」

通されたのは、そこそこに広い部屋だった。白菊の自室と同じくらい、いや、それ以上の広さか。朱色の派手な壁に浮世絵がかかり、こちらを見下ろしている。

座布団の上に、落ち着きなく腰を下ろした。派手な色の壁に息苦しさを感じる。


……下らない義理や筋を通して、ここになんて来なければ良かった。


私は深くため息をついた。白菊も無理はするなといってくれたのに、半ば意地になっていた私はそれを大丈夫だと押し切ったのだ。

自業自得。まさに、これだ。


「――失礼する」

襖に影が出来て、声がかかった。どこかで聞いたことのあるような、と考えている間に襖が開いた。

私に向かって、手をつき深く頭を下げている男は銀の龍を刺繍した豪奢な着物を着ていた。


「この度は紅屋に登楼頂きまして、ありがとうございます。紅屋一同、歓迎いたします」

「! 貴方…、」

息を呑む。目の前の男は顔をあげ、不敵に微笑んだ。


「さっきぶりだな、真琴」

「はっ、花霞!?」











不敵に笑う花霞を前に私は思わず、立ち上がった。


「な、なんでここに…?」

「紅屋は俺の店だからな」

「い、いや、そうじゃなくって!」

「――何故、太夫の俺が初めて店に来たお前のもてなしをするのか、か?」

一番の位である太夫が一見さんである客の相手をするなど普通ありえない。

するすると床を滑るように歩き、私の傍らに座った。そして、妖しい笑みを浮かべて上目づかいで私を見上げた。


「お前のさっき払った額が額だからな」

「だ、だからって…」

「せいぜいもてなして、お前を常連にしたいっていう腹だろう」

どれくらいが相場だなんて私には分からないから、桃から経費だと貰った金額を全部払ったのだが、大分多かったらしい。

なんだ、知らなかったのかと目を瞬かせて花霞は笑うと、私の手首を掴んでそっと引いた。咄嗟に身を固くした私に、花霞は口を開いた。


「怪我してるくせに、無理するな」

「……離して」

「ああ、悪い」

力が強くて振り払えなかった私の手首から、あっさりと花霞は手を離した。あまりの力の差に心臓がどきりと脈打った。花霞はというと、警戒している私を胡坐をかいてゆったりと寛いだ様子で眺めている。


「――お前、藍屋のくノ一なのか?」

「く、くのいち…?」

「昼は藍屋の使用人で、夜は密偵とかな」

「まさか」

私は呆れてしまった。特別、からかっているというわけではない、気軽な口調でとんでもないことをいうものだから、余計にこの男の真意が分からなくなる。花霞は肘をつき、興味深そうに私の顔をしげしげと見つめた。


「――それなら、藍屋の使用人がお武家のお嬢様に化けて、この紅屋に何の用なんだ?」

「私、藍屋の使用人じゃありません。ちょっとした事情で、暫く手伝うことになっただけです」

「だとしても、お武家のお嬢様ってわけでもない」


――鋭い。とぼけているふりをしながら、やはり、頭がいい。何とも食えない男だ。


不意に、花霞は整った顔を寄せてきた。それを避けようと後ずさる私を這うように追って、花霞は私の目の前に屈んだ。日に当てられていない、妙に白い脛が剥き出しになっって、目のやり場に困った私は目を泳がせる。それを面白そうに見て、花霞は私の髪に手を伸ばし、長い前髪を一房、手に取った。私はその場に釘付けになったように固まる。


「……前も思ったが、その様子じゃ、男馴れはしてないらしい」

花霞は、妖しい笑みを浮かべて、手に取った前髪に口づけた。ぞわりと鳥肌が立って、私は勢いよく仰け反り、頭を壁に打ち付けた。鈍くはあるが、凄い音がして、埃がはらはらと落ちてくる。一瞬、意識が飛んだ。


「いっ、つ…!」

「おいおい」

呆れたような声がして、頭を引き寄せられた。たんこぶが出来たらしい後頭部に花霞の手が触れる。私は涙目になりながら、花霞から逃れようと手を突き出した。

――が、その時、手が空をかいて、私は見事に倒れこんだ。


……花霞の上に。










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