「っ、ど、どうしてここにいるのよ!?」
「姫、乃?」
姫乃が喉で声を震わせた。その叫びに呼応したように、神城が一歩前へ踏み出す。
「綾ちゃんの術は完璧だったはずよ! 決して誰にも破れない…。それなのに…、どうして…!?」
「――簡単な話だ。誰かが術を破ったのだろう。あの空を見るがいい、女」
賀竜が空高くに光る、紅の閃光を指した。まるで血をなすったかのような、禍々しい色の空の傷口は、天を真っ二つに裂いている。
「綾都とかいうやつが仕掛けた異空間は完全に破られた。貴様の無能な仲間も流石に気が付いただろう。こちらに向かっているころだろうな」
「……。ふざけた格好に、気に障るその口調。――賀竜ね?」
姫乃の怒りに燃えた眼が賀竜を見据えた。吐き捨てるように続ける。
「政府の犬がこんなところにいるってことは、あいつの差し金かしら? それとも…、神城くんが呼んだの?」
「……俺が呼ぶわけねえだろ…」
「神城くんは、どこまでもあたしの邪魔をするのね…。いつでも…、いつだって、」
神城の声さえ耳に入らない、ぽつりと呟かれたそれには、明らかな敵意と殺意が込められていた。神城が怒りに震える姫乃の肩に手を伸ばそうとした、その時。
「――姫、」
「! ――神城っ! 離れろ!」
狼がそう叫ぶなり、神城の腕を強く引いた。狼の手を汚している、ぬるりとした鮮血の感触が生々しい。
がくんと体勢を崩して尻餅をついた神城の足元に深く、鎖のついた大鎌が刺さっている。――姫乃の飛び道具だ。
「、っ!」
「……どうして放っておいてくれないのっ!?」
姫乃がそう叫んだ瞬間、ぐらりと大地が大きく揺れた。続いて、唸るような地響きが辺りに響く。
「! な、何……? 何なの!?」
姫乃が大鎌を自分の手元に戻すことさえせずに、うろたえたように辺りを見回した。狼と神城もまた立て続けに目の前で起こっている、信じがたい状況に瞠目している。
「なんなんだよ、これ…」
「――い、一体、」
(何が起ころうとしているんだ?)
――その時、狼の耳朶を何かが打った。
(…… 、 ! …)
「?」
微かな、しかし、妙に鮮明でもあるそれに、狼は辺りを見回した。……地響きに紛れるような、その"声"を辿っていく。
(…… シ、 …)
(………… シ、 い ……)
狼は声のする方に吸い寄せられるようにして、視線を落とした。まさかという思いとは裏腹に、血の気は下がり、やけにはっきりとしたその声が心の奥の奥を冷やしていく。
(…… 血ガ…、)
(、ホ…、シ…イ ……)
"――血が欲しい"
確かに、"刀"はそう言った。すっかりしゃがれて枯れてしまった男の声で。
狼は色を無くして、一歩下がった。
「――狼?」
それに気が付いた神城が怪訝そうな声を出すも、狼の耳には入らなかった。
――あの声。
つい先ほど、己が聞いたあの声は。
自分を魅せた、あの声は。
このバケモノ刀の声。
かたかたと、地面を無残に転がった刀が震えている。……まるで、生きてでもいるように。
狼は吸い寄せられたように、無意識に妖刀、夜叉車へと手を伸ばした。
"――俺を、とれ"
囁く声に抗えない。触れてはならないと確かに警鐘が鳴っているのに、手はするすると刀の方へ伸びていく。
ついに、狼の指先が、触れ――
「……なあんだ」
不意に聞こえた、懐かしい声に心が震え、手の動きが止まる。
「随分と騒がしいと思ったら、お客さんみたいだね。姫乃」
「!」
姫乃の目が嬉しさ半分、戸惑い半分に揺れる。何か言いたげにしている姫乃を手で制し、その人物は淡々と続けた。
「流石に、記憶喪失だって聞いたときはもう駄目かと思ったけど、まだ神様は僕を見ててくれるみたいだね。……まさか、こんな社に隠してあったなんて思わなかった」
「……」
「……全然変わってないなあ、」
――ねえ、"兄さん"。
その人物、綾都は赤い髪を揺らしながら、どこか壊れた笑顔で微笑んだ。
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