「――やっぱり、狼の旦那の取り越し苦労なんじゃないスかね?」
「……」
――これで一体、何回目になるだろう。杢太郎は嘆息した。
いつもは身軽で、先へ先へと行くはずの相棒の足取りがやけに重い。栄吉らしくない、どんよりとした浮かない顔をしている。
疾風隊本部を出た時からこれだ。――一体、何がどうしたってんだ、と杢太郎は困惑していた。
「……栄吉。何か変だぞ、お前」
杢太郎の指摘にぴたりと栄吉は足を止め、杢太郎の顔を見上げた。その視線がやけにひねているように感じて、杢太郎は少し後退した。
「な、何だ?」
「……杢」問い詰めるように杢太郎に迫りながら、栄吉が言った。
「心配じゃないんスか?」
「……心配?」栄吉が何を言おうとしてるのか、なんとなく勘付いた杢太郎は聞き返した。……勿論、謎かけをしようというわけではない。
「だから…、玄隊長のことッスよ!」
「――で、隊長がどうかしたのか?」
じれて噛みつく栄吉に、杢太郎はとぼけて見せた。大抵、逆上した杢太郎を諭す立場であるはずの栄吉だが、どうやら今は逆らしい。
「どう考えたって無謀でしょうが! 玄隊長はああ見えて、死ぬところだった……」
「"だった"、だろ?」
杢太郎はやんわりと訂正した。栄吉が、すっかり完治したわけではない玄を心配するのも当然だと承知しているし、杢太郎とて心配だ。
胸の内を吐き出すように、栄吉は続けた。
「あの隊長が、袈裟掛けにばっさりやられて……、しかも、」
「……赤鬼のヤツが絡んでる」
「!」
栄吉は目を見開いた。それを杢太郎は長屋の土壁にもたれて、笑った。
「馬鹿。俺だってな、少しは考えたりすんだ。――玄隊長と赤鬼、つまり、源能斎の間に何があったかなんて詳しくは知らねェ」けど、"何かあった"ってことくらい、俺にだって分かる。杢太郎の顔が更に真剣味を帯び、輝いた。
杢太郎とて馬鹿ではない。学はないが、栄吉と同じで誰よりも玄を信頼し、慕っているのだ。
「……十中八九、無茶することぐらい、わかってるよ」
「! なら……!」
「――でも、止められねェ」
……
止めちゃいけねェ。
杢太郎は静かに首を振った。ぐっと拳が固く握り絞められる。それに、栄吉ははっとして黙り込んだ。
『……邪魔しないでね』
脳裏に玄の声が響く。決然とした、断固たる思い。修羅の道を進むことを選んだ玄を一体、誰が止められるだろう。
……
そんな覚悟もない、生半可な自分達が一体――
「何が起ころうと、俺は隊長を信じる。隊長が決めたことだ」
「……」
栄吉が狼に命じられたことを渋ったのは、狼や神城、桔梗、鈴鳴が玄を引き止めないことがわかっていたからだ。
……玄と同じように、彼らもまた覚悟している。だから、引き止めないし、迷わない。たとえ迷ったとしても、決して立ち止まらない。前へと進もうとする。
「……杢は凄ェな…」
栄吉はうなだれ、呟くようにそう言った。
「栄吉…」
「俺は……、そんな風に思えねェ…。万が一のことばかり考えちまう……」
失うことばかり考えて、踏み止まっている。それじゃあ駄目だ。――そんなこと、わかってる。
「……馬鹿野郎。前に言ったじゃねェか」力強く、杢太郎が栄吉の肩を叩いた。
「玄隊長が死ぬわけないだろ?」
「……っ…!」
杢太郎だって、わからないはずはない。人はいつか必ず死ぬものだ。あっけなく、突然、いなくなってしまうものだ。
「――栄吉」杢太郎の逞しい腕が反論しようとした栄吉の胸ぐらを掴んで、額と額が引っ付きそうな程近付け、目に凄味を利かせた。
「……玄隊長を、信じてやれよ」
「!」
……
疾風の旦那達や隊長を俺らが信じてやらなきゃ、どうするんだ……!
怒鳴りつけるように放った杢太郎の語尾が微かに震えている。栄吉は言葉を無くした。
――わかってるんだろ?、と更に、杢太郎は問いかけた。
「剣も体術も人並みの俺逹がいたところで、足手まといだって」
「!」
――足手まとい。栄吉の心に何かが深く刺さる。だが、それは予期していた痛みだった。……そう、わかっていたことだ。
「……んなことくらい、わかってるッスよ…」
「――俺逹は、」ようやく、杢太郎は栄吉の胸ぐらから手を離した。
「俺逹の出来ることをすべきだ」
「……、」
――すべきこと。ぐっと詰まった栄吉は黙ったまま、乱れた襟元を正した。そして、小さく口の中でごもごも言う。
「……わ、悪かったな」
「――別に、いいってことよ」
結局、何の手がかりも得られないまま、朝になってしまった。それに、不安と焦りを感じつつ、二人は歩みを再開した。
――何しろ、急がなければならない。生きているのか、死んでいるのかはわからないが、もしも生きているのであれば、衰弱しているだろう可能性が高いからだ。
……人呼んで、パシリの鉄。疾風隊の平隊士であり、愛すべき新人の彼が操り師に拉致されていたのかもしれないのだ。しかもどうやら、操り師の中心である綾都が成り変わっていたらしい。
――ことは急を要していた。
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