「――長」
「どうした?」
深く笠を被り、僧になりすましていた賀竜は壁に寄りかかっていた体を起こした。地に突いた錫杖がしゃん、と揺れる。
銭を手にした農民風の人影が唇を動かさず、静かに告げた。
「どうやら…、疾風隊に動きがあったようです」
「……」
――ついに、動くか。
賀竜は日に目をすがめた。
……ここ数日中に動くであろうことは、ある程度予測がついていた。
何せ、三番隊隊長の命を救う為、疾風隊に身を置いていた記憶喪失の少女が操り師の手に落ちたのだ。更に、貴重な戦力であった、疾風隊随一の剣客と名高い四番隊隊長までも命に関わる傷ではないとはいえ、深手を負ったらしいと部下から知らせを受けていた。
特に、妖刀の隠し場所を知っているであろう、かの少女が操り師側にあるのはかなりの痛手だ。
そうなると、疾風隊がむやみやたらに手を出すわけにはいかなくなってくる。
「今朝早く、二番隊隊長と火焔隊隊長が本部を出たとのことです」
「……絶対に、見失うな」
「はっ」
動いたのは、片腕の玄の字と探索方の二番隊隊長。ということは、本部に待機しているのは、一番隊隊長、療養中の四番隊隊長、……そして、鬼風。
指示を待つ人影に向かって、賀竜は言った。
「……四神衆(ししんしゅう)を残し、残りはその二人を追え」
賀竜の近くに、声無き気配が四つ降り立つのが感じられた。
影武者四神衆と言われる、玄武、白虎、朱雀、青龍の四人は、影武者の中でも賀竜の認める選りすぐりの部下だ。
人影はおもむろに口を開いた。
「……では…、あの二人は囮だと?」
「――さっさと行くがいい」
「……。はっ」
出すぎた真似を、と人影はさっと顔を伏せ、あっという間に姿を消した。
賀竜は笠を編んだ隙間から差し込む、柔らかな朝日を無表情に見つめていた。
………………………………
「――行ったか」やれやれ、と狼はようやく聞こえた玄関の戸の音に苦笑する。
自分の我儘やエゴで、玄や皆に心配をかけていることは分かっている。……だが、どうあっても引くわけにはいかなかった。
喜一には別室に移ってもらい、今は狼と鈴鳴の二人だけだ。
「――すっずなりくーん」茶化すように呼びかけて、狼は鈴鳴の枕元まで来ると、腰を下ろした。
鈴鳴は顔を上げる素振りさえ見せず、枕に顔を埋めたままだ。
「……」
「お前が何を考えてるかなんて、隊長さんにはすっかりお見通しなんだぞー?」懐から取り出した扇子で鈴鳴の頭を軽く小突いた。
「……俺が止めたところで、どうせ行くつもりなんだろ?」――咲ちゃんを助けに。沈黙している鈴鳴の頭が微かに動いた。
それを満足そうに、半ば予期していた狼は笑った。
「――俺が言いたいのは、ただ一つ。絶対に無茶し過ぎないこと。……それだけだ」お前に何かあったら、猪三郎様に合わせる顔がないからな。そこで初めて、鈴鳴は顔を上げた。
「、狼……俺、は……」
「お前はお前の思う通りに行動しろ」
……
後悔しないように、
今度こそ、守り切れ。
「……だって、約束、したんだろ?」
……
絶対に、守るって。
「!」
「……そろそろ、行こうぜ」戸を開け、神城が顔を覗かせた。それに狼は一つ頷き、立ち上がった。そして、鈴鳴に背を向ける。
「――後悔するような生き方だけはするなよ、鈴鳴」
――選ぶのは、自分自身。
たまには、自分の想いを素直に行動に移すのも大事だってことを忘れるな。
『……大事なのは、』
『お前がどうしたいかだ』
――ふと、重なる言葉。時に反発し、逆らった人物の言葉が鈴鳴の頭の中で反芻される。
……
迷いは、ない。
遠くで、狼と神城が出ていく音を聞きながら、ぐっと腕に力を入れ、起き上がった。みしり、と身体が静かに悲鳴を上げる。
鈴鳴は枕元に用意されていた服に大分苦労しながら、袖を通していった。
背中の傷の痛みが徐々に引いていくようにも感じられるが、おそらく、感覚が麻痺しているせいだろう。……だが、この感覚が幻なのだとしても、今はそれでいいとさえ、思う。
(……この件に、片がつくまで持てばいい…)
その後、この身体がイカれてしまおうが、動けなくなろうが構わない。
……
絶対に、後悔だけはしたくないから。
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