息が切れて、めまいがした。咳き込むように息をして、膝に手をつく。
ほどけた髪を風が優しく撫ぜて、掻き乱した。
――、行かなきゃ。
ぼやけて揺れる視界に入った足は、土で酷く汚れてしまっている。……一体、どれくらい、走ったのだろう。
さらわれてきて以来、衰弱しきった静香の体力は大分落ちていた。情けないことに、少し走っただけでも息が切れる。
静香は顎から滴る汗を手の甲で拭い、背を真っ直ぐに伸ばした。
――橙の日が眩しい。
(……一先ず、咲ちゃんのところに戻らないと…)
――だが、一向に元いた場所へ戻る気配がない。久信に連れられ、五分も経たずに着いた場所から走って来たというのに。
どきり、とする。
……
まるで、同じところをぐるぐる回っているような感覚。
「……あんた、」
不意に飛び込んできた声に、静香はよろめきながら勢い良く振り返った。声の主が警戒心丸出しでこちらに歩み寄ってきた。
腕に巻きつけた鎖が、ジャラ、と凶暴な音をたてる。
「こんなところで何してるの? まさか、抜け出して来たってわけ?」
「……」
「一体、いつ……、まあ、いいわ」
疑うような視線を向けて、姫乃は乱暴に静香の腕を掴み、そのまま捻り上げる。ごきりと嫌な音がして、静香が悲鳴をあげた。
「、ぅあ…っ!」
「ちょっと、肩を外しただけよ。――今度、逃げ出したら、足でも腕でも斬り落としてあげるから、覚悟しておくのね。……それとも、今がいいかしら?」
苛立ったように吐き捨てて、姫乃はうめく静香を引きずっていく。
「久信はあんたのこと気にいってるみたいだけど、あたしはあんたみたいな女、大っ嫌いなのよ。綾ちゃんが止めなかったら、今すぐにでも殺してあげるのに」
「、っ!」
「……逃げようとしたって無駄だから」
横目で静香を見ながら、釘を刺すように姫乃は告げた。
「綾ちゃんの術はあんたが思ってるより、ずっと強力よ。簡単にここから出られないようになってるの。――言うなれば、別世界みたいなもの…」
妖艶な、酔ったような笑みを浮かべ、姫乃は静香をお堂のような建物に押し込んだ。観音開きになっている扉を閉め、声をたてて笑う。
最初、閉じ込められていた建物とは明らかに違う床に静香は転がった。鈍く痛む肩に耐えながら、顔を上げる。
格子から覗く姫乃の目は氷のように冷えきっていた。
「罰として、あの娘とは別々よ」
「! そんなっ…!」
「時が来るまで、大人しくしてて頂戴」
がこん、と何かがはまる音がした。……恐らく、錠をかけられたのだろう。
静香は遠ざかる足音を追うようにして扉にすがったが、扉はびくともしない。それでも諦めずに、打つ拳が鈍く痛む。
気持ちばかりが焦る。
「お願い! ここから…っ、出して! 早くし……、っ!」
――早くしないと。
……
狼が、咲ちゃんが、……皆が。
自分が、本当に役立たずになってしまう。誰も助けられないで、終わってしまう。
それが嫌で、苦しくて仕方がない。
やっと助けられる力を手に入れた。自分の届く範囲で本当に大事なものを守る、ほんの小さな力だけれど。
――なのに、
「っ、出しなさい!」
体で扉に体当たりすると、大きく揺れた。しかし、開く気配はない。
――それでも、静香は止めない。
関節が外れ、だらりと下がった肩が限界だと悲鳴を上げる。右の拳はいつの間にか内出血を起こし、赤黒く変色している。
助走をつけ、勢いよく扉を蹴り上げて、静香は歯を食いしばった。
「っ、はあああ!」
部屋の端いっぱいまで離れると、地面を蹴り、一気に駆け出した。
――諦めたら、そこで終わりだから。
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