「じゃあな――」
何故か、虚しい目をして背を向けた。
………………………………
「……ん…、?」
まどろむようなだるさから静香は目を覚ました。ぼやけた視界と、霞がかったように上手く働かない頭。
重い腕をなんとか動かし、邪魔な髪を掻き上げる。
――隅に蜘蛛の巣が張られた、高い天井。
静香は、仰向けに寝転んでいた。
「……こ…、」
ゆっくり起き上がり、ふと傍らの床に視線を落とす。
――浅い底に、まだ酒の残る盃。
『――お前らに分かるか?』
……
あいつらの気持ちが。
ぼんやりとしていた頭が目をすっかり覚ました。軽いめまいを堪えて立ち上がり、襖を勢いよく明けた。
優しい陽射しが廊下に射しこんでいる。いつの間にか、夜が明けたらしい。
「……止め、なきゃ」
静香は裸足のまま、外へ飛び出した。
――誰も望んでいない。血を分けた兄と弟が争い、戦うなんて。
『あいつも重々承知しているだろうさ。……これから始まろうとしている殺し合いに意味がないことは』
――だが、それでも止められない。
望んだ全てが何一つ得られなくても、自分が本物の化物になっても、いい。
……
あいつにとって、兄は"枷"でしかないんだよ。
兄と離れた今でも綾都の心はあの時のまま、真綿のような鎖に繋がれている。
綾都とて、分かっているはずだ。……狼のせいではないことを。
……
誰にもどうすることも出来なかったことを。
憎しみを向ける先を失い、どうしたら良いか分からなずに苦しんでいる。
………………………………
――狼と綾都が、血を分けた兄弟。
久信から聞いた、衝撃の事実――
最初は、嘘だと思った。……だが。
『……信じる、信じないは、お前の勝手だ』
静香には、久信の言葉がどうしても嘘だとは思えなかった。
もしも、本当なのだとしたら。
あの悪夢のような過去が、紛れもない真実なのだとしたら。
「……ろ、…う…」
優しい心が、鬼へと化ける。傷付いた想いが、闇へと変わる。
『……独りで辛かったろ』
『……。忘れたら、駄目なんだよ』
『大事で無くしたくないと思うから、苦しいんだ。――お前なら、分かるだろ?』
時折見せる寂しげな狼の表情に、危うさを感じた。
(……独りじゃないと教えてくれた。狼がいなかったら、今の私はいない)
……
お願いだから、"死ぬ"ことだけは考えないで。
静香はただひたすら、駆けていた。
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