血の滴る音。

――赤い赤い、色。


その深い赤に染まった手が咲の方に伸びてきて、左肩を掴み、耳障りな高笑いをした。薄い着物の布越しに冷たい濡れた手が触れるのが気持ち悪い。



『……あんたも、俺に斬られたい? 優しい優しいお兄ちゃんみたいに、真っ赤に染まってみるかい?』


囁くような男の声が愉しげに笑った。怖い、嫌だと思うのに、恐怖で喉に声が張り付いて叫ぶことも出来ない。首を横に嫌々するように振り、力の入らない足を叱咤する。


そうしている内に、ふと左肩を掴む男の手が緩んだ。それをなんとか震える手で払い、駆け出そうとしたが、足がもつれて派手に地面に転ぶ。


『あー、駄目だよ。逃げちゃあ』


思ったよりも近い男の声に、咲の身体は脅えて震えた。地面を掻くようにして、前に進もうとした手さえ押さえ込まれた。


身体を仰向けに無理矢理、反転され、涙でにじんだ視界に写ったのは、酷薄な笑みと、血で濁ったあの妖刃。


「っ、いやああああああ…!!」













………………………………




「、っ…!」

「煩いなあ、君は」


咲を襲ったのは、身を刀で斬られた痛みではなく、頬を加減なく張り飛ばされた鈍い痛みだった。じんじん、と痛む頬と口の中の血の金臭さが咲を現実に引き戻した。


「い、今のは……」

「急に叫び出さないでくれるかな。鼓膜が破れるかと思ったよ」


男は答えず、薄く笑みを浮かべて首を傾げた。


「ところで、さっきのは誰? 見たところ、君の兄さんを殺した役人っぽかったけど」

「! ど、どうして……」

「いい加減、飽きてくるよ。探っても探っても陰気な夢ばっかり。……僕が見たいのは君の記憶だよ。つまり、夜叉車の隠し場所」


男は目を細めて、咲の前に屈んだ。男の冷たい金色の目が咲を射抜く。


「っ!」

「君が話してくれないと、また君の父親が酷い目に合うよ?」

「父、親……?」

「うん。綾都が上手く隠してくれちゃってて、探すのに苦労したけど、ちゃんと生きてる」


安心した?と無邪気に笑う男の目は全く笑っていない。ぞくり、と背筋が凍る。


「心は決まったでしょ? さ、思い出して?」


男の手の平が咲の頭のてっぺんに触れた。電流が走ったかのように、咲の肩が跳ねた。


記憶が、二度と思い出したくないと封じたものが、無理矢理、探られているような不思議な感覚に、咲は吐気をおぼえ、胸の前で手を握る。息がしずらく、苦しい。


「大丈夫。もう少しの辛抱だよ」


いい子いい子とするように、男の手が優しく頭をなぜた。しかし、囁くような声には、心配の欠片さえ感じられない。


「あ。これかな」

「、っ!」


ずきり、と頭がこれまでにないほど鋭く痛んだ。叫び出しそうになる声を堪えて、咲は固く目を閉じた。




……


お願い…。誰か、助けて……。




――その時。


ガッシャーン。硝子の割れるような大きな音が響き渡り、一瞬にして異様な静けさに包まれた。


「?」


咲の頭から手を離し、男は観音開きの戸を開けて外を伺った。そして、目を見開き、確かな動揺を走らせた。



「……まさか…、破られ……」


男は不意に口を閉じた。男の目の先には、空を割る紅の閃光が鋭く瞬いていた。


暫くそれを忌々しげに眺めていたが、目を離し、一度、力なく床に倒れて気を失っている咲の方を見やった。


「君も、紅の加護を受ける者か。……くだらない。興が冷めたよ」


男はそう吐き捨て、出て行った。




……


気を失った咲をひとり残して。









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