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「ここまで来れば十分かな」

「……そうじゃな」と源能斎は応じて、足を止めた。


辺りに人気はなく、ぽつりぽつりとある建物も今は誰も住んではいないようだ。――戦いには絶好の場所、といえるだろう。


かつて、先生と呼び慕っていた男と、玄はひっそりと対峙した。右側の、余った袖が風に大きくなびく。


全く話し出そうとしない玄に代わって、源能斎は口を開いた。



「……あの傷で生きていようとは悪運の強いやつじゃ」

「まあ、流石の僕でも完治したわけじゃないよ」


まだ大分うずくしね、と玄は袈裟掛けに斬られた肩を顎で差してみせた。だらしなくはだけた胸元から痛々しい包帯が見える。


源能斎は顔をしかめた。


「その身体で儂に挑むつもりか?」

「――勿論、そのつもりだけど?」


玄は刀の切っ先を真っ直ぐ源能斎に向けて、小首を傾げた。無造作に束ねた髪が揺れる。
玄の目に迷いや恐れはなかった。


源能斎の顔が憎々しげに歪む。


「つい数日前に死にぞこなったというに…、まだわからんか! お前と儂の力の差が!」

「……数日前の僕と一緒にしないでよ」


弾劾するような源能斎の言葉に、玄は不思議な笑みを浮かべた。余裕とは異なった、慈悲深い笑み。


源能斎は、前回とは全く違う玄の雰囲気に呑まれたように黙り込んだ。


玄は静かに語り出した。


「……僕はね、今までずっと復讐の為に生きてきたんだ。家族が大切だったから、……愛していたから、貴方のしたことが許せなかった」




……


理不尽な理由で奪われた、自分の命よりも大事な人達。


僕の、全て。




「……でもね、」


玄はそっと息を吐いた。泣き出しそうで、笑い出しそうな、感情が現れる直前の一瞬の表情。


「数日前とは明らかに何か変わったんだ。……何の迷いか、貴方を許したいとさえ思う」

「!」



どうして、そんな感情が芽生えたのか自分でもわからない。……ただ、あれかと察するところはある。


心深くにしまいこんできた闇に、一筋の光が射した。苦しくて苦しくて、どうしようもなく痛む傷を優しく撫でて、もう大丈夫だと囁いた。



家族を救うことが出来なかった、頼りない片腕でそっと抱き締めた温もり。こんな自分の為に涙を流してくれた少女が、復讐に囚われた自分を変えたのだ。



源能斎が口元に嘲笑めいた笑みを浮かべて、笑止、とばかりに吐き捨てた。


「戯言を、」

「――若菜さんは先生を助ける為に死んだんだ」

「!」



――若菜。


かつて愛した女(ひと)の名を聞き、怯んだように源能斎は半歩後ずさった。それを静かに見つめて、玄は淡々と続ける。


「貴方を守る為に自分の身を犠牲にした」

「な…、何故、若菜を、」


しゃがれて酷くかすれた声が、風にゆっくりと溶けて消えていった。


「貴方もまた、理不尽な理由で愛する人を奪われた。……貴方は、僕と同じだ」

「同じ…、じゃと?」


源能斎の顔が醜く歪んだ。明らかな動揺の中に、徐々にではあるが、冷静さの色が戻ってきた。


そして、唇を歪め、馬鹿らしいとばかりに吐き捨てる。



「お前のような出来損ないと儂が同じじゃと? ……ふざけるな!」

「……貴方と僕の違いは、」



玄は源能斎の言葉が全く聞こえないかのように静かに続けた。


「他人を信じることが出来たか出来なかったか。……ただそれだけ」


若菜を失ってから、今も昔も源能斎には自分しか見えていなかった。強い憎しみに囚われた源能斎を何とか救おうとしていた猪三郎やかつての仲間達さえ、敵に見えた。物言わぬ人形と同じだった。


大事な人を失って、人を信じることを止めた。他人を信じようとしなくなった。
古くからの仲間にさえ、自分の苦しみは自分しかわからない、自分にしか理解出来ないのだと決めつけて、他人を、仲間を避け続けた。……そして、"鬼の器"に固執するようになった。




……


何も感じぬ鬼になりたい。




もう、悲しいのにも苦しいのにも飽きて、嫌になってしまったのだろう。



「……貴方は、可哀想な人だ」


泣くことも出来ず、すがることも出来ず、頑に強さを追い求めて心を閉じた。


源能斎は唇を歪め、玄を睨みつけた。


「貴方に僕を倒すことはおろか、僕を殺すことは出来ない。――…僕は、」


玄は風を斬り、切っ先を源能斎に向けた。




……


貴方に勝つ。




「……貴方を、乗り越える」


……貴方という過去に、決着をつけてみせる。



玄の言葉に、源能斎は静かに微笑んだ。先程のような、憎々しげな笑みではない。


「……生意気言いおって…、」


源能斎の、針のような刀が日に鈍く輝いた。


そして、ゆっくりと振られる。


「……お前では、儂を越えられぬ…!」

「……それは、どうかな?」


二つ、地を蹴る音が響いた。








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