――手応えはない。久信の肩を深く斬り裂くはずの刃が空を斬った。直ぐ様、刀を翻し、たたみ掛けるように次の攻撃に移る。
薄皮一枚で届くというところで大きく弧を描いた切っ先が唸りを上げた。
久信は桔梗の剣撃を無駄のない動きで避けながら、目を細める。
「……へえ。刀筋は悪くないな。だが、」
「!」
ギィイン。金属音が鳴り響き、白い火花が散った。不意に、互いの刀が耳障りな音をたてて震える。
久信が桔梗の刃を受け止めたのだ。
「――俺には及ばない」
「ぐっ……!」
桔梗は手の痺れに気をとられ、防御が遅れた。次の瞬間、横っ面の鈍い痛みと共に後ろへ吹き飛んだ。
砂埃を上げ、地面を転がった。口の中に血の金臭い味が広がる。少しばかし、切ったらしい。
「……萎える」と久信は吐き捨て、桔梗の頬を殴り飛ばした拳を撫でた。
「お前、今、手を抜いたな?」
「! 何を、」口元を手の甲で拭い、桔梗はよろめきながらも起き上がった。久信は桔梗を無視して続けた。
「殺すつもりで来い。戦闘において大事なのは本能だけだ。理性なんざ捨てろ」
「……」
「死にたいなら別だがな」
桔梗は決して手を抜いたわけではない。しかし、桔梗は無意識に身体の急所を避けていた。それを久信は見抜いていたのだ。
桔梗は歯噛みした。確かに久信の言う通り、殺すつもりでいかなければ久信を倒すことは出来ない。理性の残る今の剣では、とてもたちうち出来ないだろう。
……
その為には、己の甘さを捨てなければならない。
深く、それはそれは深くにしまいこんだ、戦うという本能を解き放つ。忌み嫌った過去の獣を呼び醒ます。
それが桔梗には恐ろしかった。
「……いいでしょう」
唇を震わせながら、桔梗は固く目を閉じた。鼓動がやけに大きく感じる。
……
心臓が静かに跳ねた。
ヒトではないのだ、と思ったあの時の自分は、確かに強かった。だが、ひどく虚しく、そして寂しかった。
「……でも、今なら苦しくはない」
都合の良い言い訳なのだとしても、誰かの為だ、救う為だと思える。
その為ならたとえ、鬼でもいいと笑えるような気がする。
再び目を開けた時、桔梗の中の僅かに残っていた迷いが消え、その顔には穏やかな笑みすら浮かんだ。
「…………それほどまでに命のやりとりがお望みなら、叶えてあげますよ」
「!」
桔梗の目の色が変わった。久信はじっとその目を見つめた。奥に自分とよく似た、陽炎のような影が揺らめいている。
(……あの女といい、この男といい、なかなか面白い過去をお持ちのようだ…)
久信は口端を更に吊り上げ、刀を持ち直した。
(――さあ、これからが本番…)
今度はこちらからとばかりに久信は桔梗に斬りかかって行った。
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