幼い時から、感情を表に出すのが苦手だった。同じ道場に通う門下生からは何を考えているのかわからないと言われ、まして親しい友などいなかった。
何度も猪三郎から、仲間なのだから、心を許せと注意を受けた。……それでも自分は頑なに一人でいることを望んだ。
……もう誰も傷つけたくなんてなかったから。
「、っ!」
じわりと背中を走る、燃えるような痛みのおかげで何とか鈴鳴は意識を保っていることが出来た。その痛みがなければ、完全に意識を失っていただろう。
歯を食い縛り、時折、刀に縋りながら、鈴鳴は闇雲に駆けていた。
(……さ、く…、咲…っ…!)
……誰よりも他人を傷つけることを恐れていたはずなのに。
『……お前には、関係ない』
それなのに、優しい君を傷つけた。何も知らない方がいいんだと決めつけて、君をもっと苦しめただけだった。
『……ごめんなさい』
……間違っていたのは自分の方だったから。
もう一度でいい。その手を、そのぬくもりを感じることが出来るなら、ひとつだけ伝えたいことがある。
足がもつれる。前になかなか進まないのがもどかしい。
「……っ…ちく、しょ…う……!」
壁に手をついて、息を吐き出した。顎から汗が伝っては落ちる。鈴鳴は唇を強く噛んで、前を見据えた。
思う通りにいかない身体が恨めしく、ただ焦りばかりがつのった。
「い、」
右側からあっと悲鳴のような声が上がった。霞がかった鈴鳴の目に若い女の姿が映る。
「、っ!」
鈴鳴は女を制そうとした。が、駆け寄ってきた女の手を振り払う動きすら、今は弱弱しい。
女が満身創痍である鈴鳴の身体を支えた。
「酷い傷! 今、医者を…、」
「いい…か、ら…」
「何を馬鹿なこと、言ってるの…!? こんな傷で一体、」
女はそこで言葉を切ると、目を見開いた。女の視線が鈴鳴の半纏を滑っていく。
「あんた…、疾風隊の…?」
「た、のむ…。……おれ、を…あかつ、きのや、しろに…」
ふっと女の腕の中で鈴鳴の身体が崩れ落ちた。女は腰が抜けたかのように、ふらりと鈴鳴の身体を抱えたまま、その場に座り込んだ。
「この男…」
女はじっと苦しげに上下する鈴鳴の血の滲んだ背に視線を落とした。
……確かに、この傷は致命傷ではない。だが、よくここまで動けたものだ。並大抵の痛みではなかっただろうに。
「茜(あかね)ー? 何やってんだ?」
半ば呆然としていた女、茜の頭上に甲高い幼い少年の声が降ってきた。見上げると、瓦屋根の上に幼い少年が座っている。腰帯に挟んだ赤い風車がくるくると勢いよく回っていて、目に鮮やかだ。
「……。あんたこそ…」
「? なんだ、その死にかけ野郎」
ひょい、と猫のような身軽さで屋根から降りてきた。そして、鈴鳴の顔を覗き込んだ。
「うへえ! 斬られてんじゃん、こいつ。何しでかし、っていうか、茜の知り合い?」
「……知らない」
茜は立ち上がると、鈴鳴の身体を顎で差した。
「戒(かい)、運んで」
「はあ?」
気の抜けた声で返した少年、戒が目を瞬かせた。
「暁の社(あかつきのやしろ)の前まででいいから」
「別にいいけどさあ、」
素直に、よいせと戒は鈴鳴の片腕を自分の肩に乗せた。そして、にやりと笑う。
「茜って何気にお人よしだよな」
「……早く運んで」
「へーい」
戒は土煙を残して、言葉通り"消えた"。戒を見送り、茜は天を仰いだ。
「……人間なんて嫌い…」
嫌い、なの。
そう呟いた茜の髪は薄桃色に染まっており、瞳の色も髪と同じそれだった。
戒という少年もまた、この国では異質であろう深い緑の髪と瞳をしていた。そして、服装も明らかに異国者を思わせる洋装であった。
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「……この辺だなっと!」
とん、と地面に着地した戒は気を失っている鈴鳴の頬を叩いた。顔色は死人のようで、ぴくりとも動かない。
「起きねえし。ってか、こりゃあ随分と…」
そこで言葉を切り、遥か上に掛かる立派であったろう屋根を見上げた。もう、今は装飾が剥がれ落ち、見るも無残だ。
しかし、戒が見ているのは屋根などではない。戒の目の前に建つ門をくぐった、その先の空間だ。
「念入りな結界だなー」
戒が手を伸ばし、ただ人には見えぬ膜のようなものに触れると、押し入るのを拒むような抵抗がある。
「しかも、異空間と幻術の合わせ技かよ…。よくやるぜ」
「――戒」
「おう」
階段の下に、茜が立っていた。異様なまでに厳重な結界に気が付いたのか、顔をしかめている。
「これって…」
「さあな。関わるとろくなことになんないし、合流場所に急ごうぜ。蓮とヨキが待ってる」
「……」
戒が言うが早いか、音もなく消える。鈴鳴の方を一瞬見やった後、茜もそれに続いた。
……二人の姿が消え、風がひとつ通り過ぎた、その時。
「、っ!」
鈴鳴の指がひくりと動いた。そして、傍らに転がった刀の身を掴む。
それを杖に、鈴鳴はゆっくりと起き上った。息は不思議と乱れておらず、ふらついてさえいない。
ただ、目は先を見つめ、血のこびりついた唇からはかすれた声がこぼれ落ちる。
――さく、と。
緩慢な動きで、刀が抜き放たれた。刃こぼれ一つない白刃が日に鋭く光っている。鈴鳴はそっと切っ先を上げた。
そして、乾いた喉から声を吐き出した。
「っ、そ……を、…通せ…!!」
叫ぶような声と共に駆けだした鈴鳴の髪が風に揺れ、刃は大きく弧を描き、切り裂いた。何もないはずなのに、斬ったという手ごたえが鈴鳴の腕に伝わってくる。轟音が辺りに轟いた。
「、っ!」
ぽっかりと空いた空間の裂け目から、赤い光が解き放たれる。その光は、鈴鳴の髪や目を血の色に染めていく。
――…今、行くから。
鈴鳴は光に向かって、走り出した。
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