――誰かに呼ばれた気がした。
胸に迫るほど悲痛で、憂いを帯びた震えた声音。そほど時間は経っていないはずなのに、その響きは酷く懐かしい。
何とか応えようと唇を動かしてはみるけれど、その動きはぎこちなくてもどかしい。声に、ならない。
次第に、自分を呼ぶその声が遠くなる。まるで金縛りにでもなったかのような感覚を振り切ろうと、辛うじて動いた、震える指を暗がりに伸ばした。しかし、その小さな動きさえ、酷くゆっくりとしていて緩慢だ。
「…………お、…が……いっ…! ……ま、っ…、」
声は酷く、遠い。
――お願い。待って。
私を置いて行かないで。
大丈夫だ、と笑ってくれた。こんな私を信じてくれた。
けれど、私は、
(……私は、何もできないのかな)
救ってくれた、守ってくれた皆を見ているしか出来なくて。
教えてほしいと縋ることしか出来なくて。
――そうだ。ただ、徒に彼を苦しめただけ。
優しいあの人を、傷つけただけ。
そして今、追いかけることも出来ずに暗闇の中でたった一人、立ちすくんでいる。
(――このままじゃ、駄目。)
私だって、誰かを支えたい。誰かの支えになりたい。
もう、守られているだけは嫌。私だって、
――守りたいの。
急に、ふわりと体が軽くなる。息苦しさがとれて、暗闇が晴れていく。柔らかな光に包まれ、意識が浮上していくのと同時に脳裏をある日の記憶が蘇った。
ようやく完成したのだと、煤で顔を汚した兄が何かを差し出した。きょとんとしてその何かを受け取り、怪訝そうな顔をしている自分に、兄は優しく微笑んだ。
『――俺はね、守りたいんだ』
『この世で、一番大事なものをね』
――だから、これを作ったんだ。
…… …き、 ま……る……
――鬼灯丸(ほおずきまる)。
「、っ!」
酷い頭痛と激しい眩暈がした。視界はぼやけていて、不鮮明だ。咲はゆっくりと瞬きをする。
それは、長い眠りから覚めたような感覚だった。
「こ、ここは……」
次第にはっきりとしてきた目に映ったのは、歪んだ赤い空。濁った紅色。咲は弾かれたように起き上った。くらりと眩暈がして、それでも何とか倒れないようにと踏ん張る。
いつの間に移動したのだろうか、お堂のような建物から土地が開けたところに咲は立っていた。足元に見慣れた石畳がある。
傍に、あの怖い人はいないと知って、咲はほっと息をついた。
――それにしても、ここは一体どこなのだろうか。
そして、静香はどこに行ってしまったのだろう。
咲は辺りを見回し、這い上がる悪寒に身を強張らせた。
(怖がってる場合じゃない。――静香さんを探さなくちゃ。)
ここから何とかして、出よう。そして、みんなの元に帰ろう。そうしないと、早くしないと、手遅れになってしまう。
怖いあの人が、何か恐ろしいことを企んでいるのは間違いない。手始めに、あの妖刀を使って、綾都に酷いことをさせるつもりなのだ。
「……そんなこと、させない…!」
ぎゅっと胸の前で拳を握り、咲は視線を上げた。
空を二分するかのような、血の色の稲妻。世界でたった独りきりにされたかのような、奇妙な静寂。
「、っ!」
――行かなくちゃ。恐怖ですくんだ足の震えを叱咤して、咲は歩みを開始した。
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