杖代わりにしていた刀を脇に垂らし、鈴鳴は辺りを見回した。確実に、あの妙な壁を破り、暁の社の中に入ったはずだ。自分の前を塞いでいた何かを斬ったという手ごたえはしっかりと鈴鳴の手に伝わっていた。

――そして今、鈴鳴がいるのは妙にひらけた場所だった。庭木もなく、草がひび割れた地面から生えている。


(ここが暁の社か。――いや、)


それにしては広すぎるのではないか、という考えを鈴鳴は打ち消した。常識など通用しない。とすれば、ここは凄腕の呪術師だという綾都の作り出した異空間なのかもしれない。


突如、鈴鳴の背後に気配が降り立った。ゆっくりと振り返ると、背を丸めた老人が佇んでいた。


「妙な場所で会うたな、小僧」

「――赤鬼か」

源能斎は既に抜刀し脇にあの特徴的な細身の剣を垂らしている。鈴鳴も油断なく、刀を握り直した。


「……成程、興味深い。妙な気配がすると思えば、まさかお主とはのう」

「あんたの無駄話に付き合うつもりはない。――咲はどこだ?」

「まさかとは思うたが、お主が綾都の施した結界を破り、ここまでたどり着くとは。はてはて興味深い」

低くしゃがれた声で、ゆっくりと紡がれる言葉を鈴鳴は途中で遮った。


「貴様もまた、面白い器のようじゃな。鬼の刀を持つに相応しい」

源能斎が目を細め、にんまりと笑う。源能斎の言うことをを訝しく思いながらも、鈴鳴は繰り返した。


「あんたと無駄話をするつもりはない。――咲はどこだ?」

「血の穢れも知らぬ若造かと思ったが、面白い。……綾都も悪くない器じゃったが、」


――あれはもう、儂の期待には応えられんのでな。

意味深にそう呟き、天を仰いだ。そして、再び鈴鳴に視線を戻すと、クスリと笑った。


「それに比べ、貴様はなかなか見どころがありそうじゃ」

「……聞こえなかったのか?」

鈴鳴は唸るようにそう問いかけ、源能斎が応える前に走り出した。包帯の巻いた傷口から血が滲みだすのも構わずに、刀を振り上げ、横薙ぎに払う。


「!」

間一髪で、鈴鳴の攻撃を交わした源能斎は老体とは思えない動きで、後ろへ身軽に跳躍し、刀を構えた。


「そう焦るでない。そのように感情に任せては、太刀筋が鈍るぞ」

「……俺の聞いたことにのみ応えろ、赤鬼」


――咲は、どこにいる?


鈴鳴が刀を振った。包帯に血が滲むのにもお構いなしで、顔色一つ変えない。痛覚がまひしているのではないかと疑うほど、躊躇いの何もない動きだ。


「……儂に勝つことが出来れば、考えてやらんでもない」

余裕の笑みを浮かべ、切っ先が揺れ、源能斎が軽く地面を蹴った。真っ直ぐ、飛び込んでくるように思えた源能斎の身体が途中で消える。

暫しの沈黙の後、鈴鳴の目がすっと細められ、右脇に瞳が微かに動いた。迷いなく、右脇を一閃する。地面を掻くような音が響き、刀を弾かれた源能斎が瞠目した。


「……ほう」

「自惚れるなよ、赤鬼」

「……小童が大きな口を叩くもんじゃな」

若干の怒気を声の奥に潜ませた源能斎が唇を歪めた。そして、鈴鳴から距離を取る。


「いいじゃろう。儂の動きを追えたこと、誉めてやろう」

「……」

源能斎が言葉を言い終わるか終らない内に、鈴鳴は地面を蹴り、無謀にも源能斎の前へと飛び出した。呆れたような源能斎の目に鈴鳴の影が映った。


「――感情に振り回されたか。馬鹿なこ、」

「……」

ぞわりと源能斎の背筋に悪寒が走った。背筋を凍らせるほどの殺気が源能斎の背後に突如降り立ったからだ。――否。


源能斎の前から、鈴鳴の影が消えていた。


「、っ!」

「――動けば首が飛ぶぞ、赤鬼」

ひたり、とした冷たい感触は研ぎ澄まされた白刃であるようだ。ちらちらと視界に映っているのは、その者の髪。そして、その刃に映り込んだ間抜けにも目を見開いた自分の顔と、その者の冷たい瞳。


「…………見事じゃ」

心の臓が冷えた。紅天鬼進流の早さを上回る、この剣に己は負けた。油断などしていなかったにも関わらず。

前に一度刀を交えた時、この男に自分を上回るような剣の才を別段感じてはいなかった。玄之助に劣り、実戦経験など無い若い刀だとそう判断した。だが、それはどうも間違っていたらしい。この男は確かに、


――身の内に鬼を飼っている。


「約束は約束じゃ。あの娘の居場所をお、」

「、っ!」

鋭く細められた鈴鳴の目が一瞬、赤くなる。鈴鳴は突然痛みだした傷を庇うように、片目を手で覆った。前髪の隙間から辛うじて見えた目が苦痛に訴え、歪められている。ついには、刀を取り落した。


「っく……っ……ぁ…!」

目が焼ける。熱い熱い熱い熱い熱い…

膝を地面に付き、嘔吐く。胸の傷も燃えるように熱かった。


「……面白い」

その様子を目を見張って見ていた源能斎は酷く掠れた声で、うっそりと笑った。


「、…ぐ…ああぁ…」

「通りで、貴様」

鈴鳴は胸の傷を掻き毟るようにして、掠れた喉でうめき声を上げた。耳鳴りのようなものが絶えず、耳の奥で響いている。滲んだ世界が途切れ途切れに赤く染まり、目が疼く。熱い。苦しい。


「――――鈴鳴さん!!」

痛みで、頭がおかしくなりそうだった。その証拠に幻聴すら、聞こえる。助けたいと願っていた声が聞こえる。

鈴鳴は、ひび割れた唇から血反吐を吐いた。それでも、まだ苦しい。自分の鼓動がやけに大きく聞こえる。


「しっかりしてください! 鈴鳴さん!」

何故だろう。縋るような手の温もりを感じる。触れる感覚すら鈍くなっていたはずなのに、先程より近いところで声がする。


(……さ、…………く…?)


どくんと、心の臓が一度大きく脈打った。傷や目だけではない、全身に燃えるように熱さが巡っていく。痛みと熱で遠ざかりそうになっていた脳裏で警鐘が鳴った。


――――このままでは、俺は呑まれる。


「………、……は、…………な、れ…ろ……!」

「す、」

「……ぁ…、はなれ…、っ! ぁ、……ああああああああああああああああああああああああっ」

鈴鳴は、喉が避けるかと思うほどの叫び声を上げた。――そして、声を聞いた。


冷徹な、"己の"声を。







[*prev] [next#]
[目次]



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -