「――狼!」


――嫌な展開だ。爆ぜて赤い火花を散らした狼の刀を目撃した神城は素早く立ち上がり、狼に加勢せんと腰のものに手をやった。が、舌打ちをして手をひっこめる。――そうだ、狼に貸したのだった。現在、彼の唯一の武器と言えば、使い慣れない脇差一本だ。

接近戦でなければ、使いようのない武器だ。これではとても狼の助太刀には向かえない。


そう思考を巡らせていた神城は、鈴でも鳴るような金属の擦れる軽い音に、はっと我に返った。地を蹴り、跳躍してすぐさまそこを離れる。すると、先程まで神城のいたその場所に鎖鎌が刺さった。

「……余所見するなんて、いい度胸ね」

「……」

――そうだ、まずは姫乃の相手をしなければならない。神城はゆっくり振り返った。


「……忙しいんだ。後にしてくれよ」

「ふうん。随分、冷たいじゃない」

愉しげに笑う姫乃を一瞥して、神城は唇を噛み締めた。

どう考えても、神城が不利だ。元々近距離の戦闘が得意な神城と姫乃では相性が悪すぎる。しかも、それに加えて、相手の懐に飛び込んで戦うしかない刃渡りの短い脇差では危険が伴う。


(……どうする)


地面を踏みしめて姫乃と対峙する神城の傍らに、何かがひらりと降り立った。姫乃が瞠目し、意外そうな目をその人物に向けた。

「――あんたは疾風隊に味方するってわけ? 政府の御意向かしら? それとも、」

「……よくもまあ、べらべらと喋るものだな」

賀竜は姫乃が手にしている鎖鎌によく似た暗器を構え、鼻で笑った。そして、神城の方に視線さえ向けずに口を開く。


「借りがある。……貴様のような阿呆もまだいたのだな」

「は?」

それってどういう、と神城が尋ねかけるのを遮るようにして、賀竜は勢いよく暗器を振り回した。風を斬る鋭い音が響く。

「虫けら以下の女など、一撃で仕留めてやる。そこで大人しく見ていろ」

「な、何勝手なこと言ってんだよ!」

我に返った神城が賀竜の腕を掴んだ。賀竜は肩をぎくりとさせて、神城の顔に初めて目を向けた。鋭い両眼には怪訝な色が浮かんでいる。


「勝手、だと?」

「そ、そりゃあ、助太刀は有難いけどさ! 仕留める仕留めないのって、殺し合いじゃあるまいし…俺は、姫乃を――」

「……貴様は、腑抜けか? この後に及んで、戯言を聞くとは…」

――チャリ。神城を遮り、賀竜は目を細めた。暗器が勢いよく弧を描いて、今か今かと飛びだす時を待っている。


「平和ボケも大概にしておけ。貴様が木偶であるから、このひとでなしに誑(たぶら)かされるのだ」

「、っ!」

神城は顔を上げ、賀竜の胸倉を掴んだ。互いの額を突き合わせるように引き寄せる。


「……黙れ」

「離せ」

「お前なんかに…、姫乃の何が分かるんだよ!」

「! 止めろと言っている」

突如、激昂した神城の手を引き剥がし、賀竜は詰まっていた息を整えた。そして、わけがわからないと神城を睨み付ける。


「……随分と肩入れをしているようだな、その女に」

「お前には関係ない! 姫乃は……、――っ! 何も知らねえくせに、勝手なこと言うんじゃねえよ!」

「――神城くんがあたしの何を分かってるっていうの?」

振り向こうとした神城の肩に激痛が走った。焼けつくような痛みに、思わず手をやると手にぬるりとした嫌な感触がする。――血だ。

このお人好しめと吐き捨てた賀竜が神城を背に庇い、その肩の傷を横目で見やって呟く。


「……毒か」

「即効性じゃないだけ有難く思ってちょうだい」

「この男に同情し、哀れにでも思ったか?」

「馬鹿言わないで!」

姫乃はそう言い捨てると、神城を睨み付けた。


「あたしを理解して必要としてくれたのは、綾ちゃんだけよ。神城くんがあたしのことを分かってる? 馬鹿馬鹿しい!」

「、っ! ……ほんと、馬鹿だよな」

神城は肩で息をしながら、ふっと笑った。傷口を押さえていた手を離し、懐から何かを取り出した。しゃら、と涼やかな音を発てる。


――昔、姫乃へ送った簪。


細工が特別凝っているわけでもない、煌びやかな玉があしらわれているわけでもない、ただの簪。それは今や見る影もなく、ぼろぼろですっかりひん曲がってしまっている。

馬鹿みたいに必死で貯めた給金で買った安物の簪。後にも先にも、姫乃に送ったのはこれだけになってしまった。


「今更、気づいちまったんだから」


――俺は、


「それでも、お前が好きだ」

「、っ!」

義姉を重ねてなどいなかった。ただ純粋に愛しいと思った。その眩しい笑顔を守りたいと思った。

ただ、それだけだった。


「――嘘よ!」

一瞬の沈黙を破るように、姫乃は叫んだ。その声は震えを帯び、悲痛に満ちていた。


「神城くんは…、あたしなんか見てなかった! あたしのことなんて、」

噂に漏れ聞いた神城の過去。その噂が真実で、決して消せはしない過去の罪を背負っているのだと知った。

そして、その大火事で死んだ義姉のことを知った。同僚が弟のようにしか見えぬとからかっていた彼のことが脳裏を過ぎる。


(……また、だ)


――所詮、己は誰かの代わりだ。本当に自分だけを愛してくれる男など、いはしない。

彼もまた、同じだ。己が殺めてきた男どもと同じ。――自分を誰かの代わりとしか見ていない。

……だから――


「好きだなんて…、そんなこと、あるわけ……、あるはずないのよ…」



『いやだって、そんな――お前が…?』

『ははは……、そんなはずねえよな? なあ、違うって、殺ってなんかいねえって、言えよ! なんで……、なんで黙ってるんだよ!』

『――俺が止める! もう誰も傷つけさせなんかしねえから、だから…っ!』


(さ、よ、な、ら)


声にすら出来なかった別れを彼に告げて、増水した川に飛び込んだ。目の端にちらりと見えた、自分の背に彼が手を伸ばしたことが本当は嬉しかった。


――きっと、こんな酷い女のことを忘れないでいてくれるのだろうと思ったから。


彼が、どんな醜い形でも覚えていてくれる。それが堪らなく、幸せだと感じた。……そう思ってしまった。


「あ、あたしは……っ、神城くんなんて嫌いなのよ…!」

どうして、素直になれなかったのだろう。どうして、見ようとしなかったのだろう。


――どうして、ずっと大事に想ってくれていた彼の手を取れなかったのだろう。


姫乃の手から鎖鎌が離れた。それは重力に逆らうことなく、ちょうど姫乃の足元に突き刺さる。

姫乃はその場に膝から崩れ落ち、ぽつりと言った。

「……あたしが…、どんなに酷い女か知ってるでしょう?」

「知ってるよ。――でも、」


神城は姫乃の目の前に屈みこむと、姫乃の解けかかった髪に触れた。だんだんと上がってきた息を吐き出し、微笑む。


「俺は姫乃がい、いんだ」


――他の誰でもない、愛しい人だ。


堰を切ったようにわっと泣き出した姫乃を、神城は力強く抱き寄せた。


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