「…………、です」

「、分かった」


狼は喜一に一つ頷くと、栄吉と杢太郎の方を振り返った。


栄吉と杢太郎の顔が、緊張でこわばる。こうしてあらためて見ると、この二人はまるで、年の近い兄弟のようだ。


狼は静かに切り出した。



「――気付いたことがあるんだ。……悪いが、少し頼まれてくれないか?」


柔らかな橙色の日差しが辺りを照らしていた。












………………………………



綾都は時々、割れて盛り上がる石畳を跨ぎながら、後ろに続く咲に言った。


「乱暴にはしないように言ってあるし、静香さんは元気だよ。だから、安心して?」



咲は歩みを止め、じっと綾都を見つめた。黙って立ち止まっている咲に手を差し出しながら、綾都は苦笑した。


「ここ、段差あるから気をつけて。……まあ…、信用出来るわけがないよね」


何故か、悲しげにうなだれる綾都にちくり、と咲の胸は痛んだ。


この人は操り師なんだ、人殺しなんだ、と言い聞かせても、動揺にざわめく心はなかなか収まらない。




……


本当に、悪い人なんだろうか…?




そんな疑問が浮かんでは消える。


戸惑いながらも、咲は差し出された綾都の手を掴み、大きな段差を乗り越えた。


暫く境内をぐるぐる回った咲と綾都は、御堂のような建物の前でぴたり、と足を止める。



「――ここだよ」観音開きの戸に手をかけ、綾都は中に声をかけた。


「……姫乃、いる?」

「――綾ちゃん?」確認の問いかけと共に、戸が開いた。神城と一緒にいた時に会った姫乃が、顔を覗かせる。



「……お帰りなさい」


不意に睫毛の長い二重の目が後ろにいた咲を写し、姫乃の顔に安堵の表情が浮かんだ。



「鬼の使者…! 成功したのね! 良か、」姫乃が笑みをこぼしたその時、姫乃の言葉を遮るようにして悲鳴に似た声が響いた。





「っ、咲ちゃん…! なんで……」



咲の目に写ったのは、溢れ落ちそうな程に目を見開き、絶句している静香の姿だった。


普段は高く結われているはずの、豊かな黒髪は肩に下り、すっかり乱れてしまっている。薄手の寝間着から見える肌が寒そうだ。



「静香さん…!」咲は綾都を押し退けるようにして、静香の元に駆け寄った。



「……ど、」


口を開きかける静香に、咲は飛び付くようにして抱きついた。



「静香さん…っ、無事だったんですね…!」ひっくり返りそうになりながらも、我に返った静香は、涙ぐむ咲の両肩を掴み、なんとか引き矧がした。
そして、仁王のような形相で問いかける。



「なんで…、なんで、来たの!? 私は……」


何かを言いかけたが、静香は咲の腕を引いて後ろにかばった。


咲が首を捻って振り返ると、綾都が中に入って来ていた。困ったように眉を下げている。



「静香さ、」

「……これが、あんた達のやり方?」ぎり、と歯を噛み締め、姫乃と綾都を睨んだ。


「咲ちゃんの優しさにつけこ、「……煩い」……っ…!」


不意に綾都の影から、久信が顔を出した。面倒そうに首の後ろ辺りをかきながら、中にづかづかと上がり込む。



「俺はどちらかというと、物静かな女の方が好みだ」

「っ! ふざ、」

「……お前、自分の立場、分かってんのか?」


静香の言葉を遮り、前に屈み込むと、嫌な笑みを浮かべた。威圧するような久信の空気に、ぐ、と静香は詰まる。


「敵の本拠地で威勢良くしてるより、大人しくしてた方が身のため。……それくらい、分かるだろ?」

「……」


久信は手を意味ありげに腰の刀へ伸ばし、身を起こした。そして、綾都に懐から出した何かを放り投げる。


「――"あいつ"からだ。中身はまだ読んでない」




……


その何かの正体は、どうやら、手紙のようである。




「……ありがとう」


綾都は丁寧に折り畳まれたそれを開き、目で追った。読み進めていく内に、綾都の目が当惑し、訝しげに細められた。



「……次の満月の夜まで待て? どういう意味だろ?」

「満月?」確か、次の満月は、明日だけど。姫乃も戸惑い、首を傾げた。



久信がだらしなく床に腰を下ろして、綾都に問いかけた。


「――満月の夜まで妖刀、夜叉車に手を出すな。ついでに、こいつらにも手を出すな」静香と咲を顎で差し、綾都が頷くのを見て、ふんと鼻で笑った。



「……あいつのことだ、何か考えがあるんだろ。考えるだけ無駄だ、ほっとけ」

「……。言われなくても、分かってるよ」


苛ついたように綾都は久信に背を向け、そのまま出て行ってしまった。その後を迷いつつも、姫乃は追っていく。


軋んで閉じた扉を見やり、久信は喉で笑った。そして、くるり、と静香と咲の方へ振り返る。
久信の目が薄暗い中で、仄かに光った。



「……鬼の使者、お前も酷いやつだな」


静香の背後で固まる咲に久信は薄く笑う。



「――知らないとは言わせないぞ。満月の夜に、かの妖刀の力は高まる。つまり、それだけ"呑まれやすくなる"ってことだ。……だが、綾都はそれを知らない」鬼の使者……、お前は馬鹿じゃない、どういうことか分かるよな?と久信は咲の目を食い入るように見つめた。
興味深そうな目が咲を探っている。



静香が震える声で言った。


「……暴走するってこと?」

「多分な」久信は咲から視線を外し、にたりと笑って見せた。



妖刀、夜叉車に触れた瞬間から、自我を無くし、何を斬っているかすら分からないほどの狂気に呑まれることになるだろう。


自らの意思とは関係なく、斬ることのみに執着する一介の狂人と化す。



静香は目を見開いた。


「なっ…、なんでそれを言、」

「……なんで、そのことを言わないのかって?」久信は立ち上がり、戸を明けた。
空が真っ赤に染まっていた。日によって全身を紅に染めながら、久信はこちらを振り向いた。




……


それじゃあ、面白くないだろ?




ぞくり、と背筋に寒気が走り、肌が粟立った。


「……何か勘違いしてるみたいだな、疾風隊二番隊隊長さん」

「、っ!」

「静香さん!」


無造作に静香の胸ぐらを掴み、久信は額を突き合わせるようにした。



「――俺とあいつ"ら"は違う。どうなろうが俺の知ったこっちゃない」……一緒にするな。久信は憎々しげにそういうと、胸ぐらから手を離した。息が詰まっていた静香は軽くむせる。
そんな静香の背を、咲はさすった。



「……運命の日まで、ここで大人しくしてもらう。逃げ出そうなんて、考えるなよ」久信はそう言い置くと、外へと出ていく。どうやら、入口で見張るつもりらしい。


咲はまだ少しむせている静香の背をさすりながら、底知れぬ不安感にぎゅっと静香の服を握った。








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