心地よい風が静まり返っている、ただっ広い屋敷を吹いて過ぎ去っていく。廊下に緩やかに差し込む、傾き始めた日を見上げ、男は目を細めた。


「――それにしても、穏やかな日だなあ…」生けようと手にした花を花瓶に差し込みながら、だらしなく片肘をついた。ふああ、と呑気に欠伸をする。



「でも、僕には少々退屈過ぎるみたいだ」そう呟きながらこめかみ辺りを掻くと、ついと獅子の描かれた豪奢な襖を見やった。


「争い、憎しみ合うのが人の本能なのに、どうして皆、我慢なんかするんだろう? ……認めてしまえば、楽になれるのにさ」


口端を吊り上げ、男は不適に笑う。



「――でも、もうすぐ、それも終わる」


……お前の働き、期待してるからね。



襖の奥に呼びかけると、息を潜めるようにしていた微かな気配がふわりと消えた。


「……さあ…、お前達はどう動く?」


庭を見ながら、男はくつくつと喉で笑った。













………………………………



身を斬るような風が、木々を揺らす音のみが響いた。無意識に、固く目を閉じていた咲は、恐る恐る目を開けた。



「こ、ここは……」


少し傾き、赤色の禿げた大きな鳥居の前に、咲は立っていた。足元の石畳は深く割れ、皹が入ってしまっている。


どうやら、今やもうすっかり廃れてしまった神社のようである。



「……こっちだよ」綾都が咲の脇を通り過ぎ、鳥居の真下に来ると手招きした。


佇む、傍らの気配に咲が顔をあげると、見下ろすように咲を見つめていた久信もまた、綾都の方を顎でしゃくった。


「さっさと行け」

「……」


咲は唇をきゅっと結んで、前を見据えると、鳥居の下へ歩み寄った。



風が砂煙を巻き上げ、吹き荒れる。鳥居がぎしぎしと悲鳴を上げた。


咲が大人しく、傍らに来たのを確認し、綾都は何かを掴もうとするように、前に手を伸ばした。そして、横一文字に素早く払う。


「――我、此処に集いし者為り」



綾都の凛とした声が響く。今にも倒れそうな鳥居の悲鳴が一瞬、止んだ。


再び、ぎしぎしと鳥居が悲鳴を上げる。


前を見据えたまま、暫くじっと伸ばしていた手を引っ込めると、綾都は咲に向かって手を差し出した。……掴め、ということらしい。


咲は黙って従った。唯一、両手の空いている久信はつまらなそうに腕組みをしたまま、何かを待っている。



「……どうやら、駄目らしいな」暫くしてから、久信が言った。そして、懐から小太刀を出し、くるくると器用に回す。


「血の証が必要だ。――使え」

「――ああ」と綾都は顔を曇らせて、久信から小太刀を受け取ると、咲の手首を掴み、袖を捲り上げた。



「! な、何……」反射的に、手を振り払おうとする咲の手首に更に力を込めて押さえながら、綾都は小さく言った。




……


静かに抜かれた刀身が、白く不気味に光る。




「……少し…、痛むだけだから…」

「、っ…! は、離し…!」


ぴたり、と咲の腕の内側に小太刀の刃が当てられ、肌を軽く切り裂いた。咲の白い肌に赤く太い線が刻まれ、血がにじむ。


綾都は咲の手首から手を離し、血に濡れた小太刀の柄を握り直すと、横一文字に空間を裂いた。



……すると、


まるで、天女の衣のような薄い膜がふわりと揺れ、溶けて消えた。


空間が歪み、突然、目の前が開ける。



荒れてはいるが、広い境内の中に咲と綾都、久信はいた。


「……な、何…?」

「疾風隊や火焔隊が総出で捜索しているにも関わらず、何故、あの女が見付からなかったのか…。――その理由が、これだ」咲がかばうように抱えている、斬られた腕を見やって久信は笑った。



「――"血の証"の幻術は、最も破るのが難しい保護の呪の一種だからな」

「……し…、静香さんは、何処ですか?」


満足そうに笑う久信に、咲は問いかけた。怯えているのを悟られまいと、きっと久信の顔を見つめている。



久信は軽薄な笑みを引っ込めて、無遠慮に咲に近付いた。身体を屈めるようにして、咲の顔を覗き込む。


「……随分威勢がいいな、鬼の使者」

「っ…! ……一体、何処にいるんですか?」


息がかかる程の近さに、思わず、身を引く咲と久信の間に、綾都が滑り込む。



「からかうのもその辺にしときなよ」

「……へえ。この俺が、何かするとでも?」と笑いながら、久信は身を起こし、何処かにふらふらと歩いて行ってしまった。




「……痛む?」

「え?」


突然、綾都は咲に久信の背を追っていた視線を戻し、聞いてきた。


綾都は、何のことか、と戸惑う咲の腕をおもむろに取った。



「……そんなに酷くはないみたいだね」

「……」


……良かった。


咲の腕の傷に、懐から取り出した布を巻きながら、ほっと息をつく。そんな綾都に、咲は益々戸惑った。



綾都のことが怖くて堪らなかったはずだというのに、今は、あまり怖さを感じない。


髪の赤い、自分と同い年くらいであろうかという彼の横顔は穏やかで、どこか悲しげだった。


綾都は手慣れたように、布の端を結ぶと咲の腕を離した。



「……静香さんのところに案内するよ」


歩き出しかけた綾都はふと足を止め、咲の方を振り返った。



「――一応、言っておくけど、」


綾都の目が急に冴えざえとして、冷たくなった。咲は、ぎくりと肩を震わせる。



「逃げ出そうとしたって、無駄だからね」

「! ……はい…」



ばくばくと心の臓が跳ね上がるのを感じながら、咲は頷いた。








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