戸の開ける音が聞こえたのか、微かな衣ずれの音をさせて、重成の妻である都が玄関で出迎えた。


数日ぶりに会う都の顔色は相変わらず、優れない。生来から病弱な上、心労が重なっているのだろう。



「――お帰りなさいませ、重成様」

「……帰る道すがら、雅景に会った」


唐突に、重成は都に尋ねた。疲れたような都の顔がさっと青ざめる。



「……まさかとは思うが、"あれ"に会いに行っていたのではあるまいな?」

「っ…! その呼び方はお止め下さい…!」




……


あの子は、"物"ではございません!




重成の目が細められ、今や顔色をすっかり無くした都に向けられる。


「――呼び方などどうでも良い。俺は、雅景が会いに行ったようだったのか、と聞いている」

「……っ…会いに行くなと申しましても、言うことなど聞かぬことは分かっておいででしょう…!」激情に耐えかねた都の唇がわなわなと震えた。




……


雅景は、あの子のことを受け入れ、愛しています。




伏せがちだった都の目に涙が浮かんだ。


「……重成様…、あなたとは違って!」



肩を震わせ、はらはらと泣き出した都を一瞥し、履物を脱ぐと都の脇に立った。


「――もう良い。それ以上は体に障る。部屋に戻れ」

「何故…、そこまで非情になれるのですか…! あの子は、貴方の……」

「これ以上、話をする気はない。――所要で出る。先に休んでいろ」


その場に立ち尽くす都を残し、重成は家の奥へと去っていった。












………………………………



風が唸り、袖が舞う。弧を描いた竹刀が勢いよく、叩きつけられた。


鋭い、乾いた音が響く。


ぴたり、とそのまま動きを止めた後、足を引いて姿勢をゆっくりと戻した。
首筋にかけて流れている汗を拭いながら、背後を振り返った。



「――流石、お早いですね。父上」

「……厭味か?」


――まあ、そのようなものです。雅景は微笑み、竹刀を肩に担いだ。
大分前から打ち込んでいたようで、息が少々上がっている。



「ふん…。怠けている割には、なかなかの太刀筋だ。誉めてやる」長い袖を邪魔にならないように襷掛けをしながら、重成は鼻で笑った。



「……怠けているなんてとんでもない。ただ俺は、他の門下より要領がいいだけです」


雅景は、全く悪びれる様子もない。あっさりと至極、それが当たり前であるかのように言った。


雅景の剣術道場通いの様子は、しっかりと父親の重成の耳に入っていた。どうも、怠け癖があるようで、時間はまちまち、一週間連続で通ったかと思いきや、一ヶ月何の音沙汰もないこともある。


そんな通い方をしているというのに、他の門下と軋轢(あつれき)が生まれないというのは、やはり、雅景の人徳だろう。


――実際のところ、雅景は怠け者ではない。目立つことを嫌い、影で努力し、やることはやる。本来、そういう真面目な質なのだ。


雅景が怠け者のふりをしているのには訳がある。……勿論、その理由は、重成にあった。



壁にかかる真剣を眺めながら、重成はおもむろに口を開いた。


「……お前はどうも、俺のやり方が気にくわんらしい」

「……」



問われた雅景は黙ったまま、じっと重成を見つめている。



雅景が自分のやり方に疑問を抱いていることを、重成は知っていた。血こそ繋がっていながら、二人の考えはまるで、水と油のようなものだ。


互いに相入れるような物ではない。



「父上のような乱暴なやり方を続ければ、その内、不知火家は疎まれてしまうようになるでしょう。――ただでさえ、不知火は旧家の出であるから、政府の重要な地位に居座っているのだと専ら(もっぱら)の噂…」

「……言いたいことはそれだけか?」



振り返り、顔色一つ変えずに言う重成に、平静を装っていた雅景はぐっと詰まった。


無論、普段の重成の態度も目に余るものがあるが、雅景が本当に言いたいのはそのことではないことをとっくに見抜いていた。



「何度も言わせるな。"あれ"を解放してやるつもりは毛頭ない」

「……綾之助があんたに何をした?」


雅景の静かな口調の影に、暗い憤りが込められていた。竹刀の柄を握る手の節が白く浮く。



「一体…、何をしたっていうんだ…!」

「――"あれ"にとって、生まれたこと自体が罪だ」

「!」



――また、だ。

また、この人は同じことを言う。繰り返す。



「元々、あの化物は死ぬべくして死ぬ命だった。要らぬ情けをかけて生かしてやった。ただ、それだけだ」

「……化物だと…?」


何かが音を発てて、崩れていく。鼓動が煩いほど鳴り響く。



――化物。バケモノ。


父の言葉に、人間らしい心などない。



「――雅景」



――止めろ。


その名を呼ぶな。



……何故…、何故、ここまでする?


ここまでして守る価値のあるモノとは何だ?


自分の子を"殺そう"としてまで――



「不知火家の繁栄に尽くすのが、お前の役目。分かっておろうな?」




……


"あれ"に、……化物に、下らぬ同情など要らぬ、と。




心が裂ける音が、した。








――一陣の風が吹く。


身を斬られるような鋭い殺気と共に、乾いた音が道場全体に響き渡った。



「……相変わらず、気が早い…」

「あんたに、あいつの何が分かるんだ…!」


雅景の口元からぎりぎりと歯ぎしりが聞こえた。憤りの炎を目に宿している。



雅景の渾身の一振りを腕一本で易々と受け止めた重成は、壁に掛っている真剣を手に取った。


「久しぶりに相手をしてやろう。――取れ」



くい、と壁を顎で差すと、自分は鞘から抜き放つ。白刃が光を反射する。


雅景は怒りのままに竹刀を地面へ投げ捨てると、壁にかかる一刀を無造作に掴み、振り向き様に刀を抜いた。鞘が無様に転がる。


左下から右上に斜めに一閃された刃は、勢いよく弧を描き、重成の目の前を横切っていく。


それを弾きながら、重成は顔をしかめた。



「……作法の何もなっていないな。良く言えば、実戦向きといったところか…」


型にはまることのない動きと、体に似合わぬ軽い身のこなしは、恐らく、この道場で雅景の右に出る者はいないだろう。


――だが、それは大分荒削りで、隙があり過ぎた。


実戦において雅景に強みがあるとはいえ、致命傷をギリギリで回避出来ても、少なからず傷を負ってしまうのは目に見えている。


やはり、雅景はまだまだ未熟なのだ。



それでも、鍔迫り合い(つばぜりあい)を何度か繰り返し、重成は大きく一歩後ろに飛ぶと構えた。息が全くあがっていない。


「――神天流(しんてんりゅう)、」




……


天つ風(あまつかぜ)




無謀にも、そこへ正面から飛び込んできた雅景の右肩に、振りきる直前に返された刀の峰が当たった。
刃の方ではなく、峰だったとはいえ、容赦なく叩きつけられたそれに、雅景の肩が一瞬、奇妙に凹んだ。



「……、ぁっ…!」


右肩のあまりの痛みに、思わず怯んだように体をかばう雅景の腹に、重成は蹴りを入れ、壁側まで吹き飛ばした。
ガツン、と壁に頭を打ち付ける。



「……未熟者め。威勢が良いのは口だけか?」重成は刀を鞘にしまって、雅景を冷たく見下ろした。


「……っ…、」

「感情にまかせ、剣を振るうのは得策ではない」

「……、っ…!」


黙ったまま、雅景は赤紫に腫れてきた右肩に手をやり、睨みつけた。それを重成は涼しい顔でやり過ごした。



「折れてはいないと思うが、念のため、医者にでも見てもらえ」


コキリ、と手首の関節を鳴らし、重成は顔色一つ変えない。
抑え切れない怒りがこみ上げてくるのを感じながら、雅景はゆっくりと立ち上がった。そして、戸に手をかける。



「……もう帰るのか?」

「――ああ」


雅景は重成の方を振り返る仕草を見せた。が、すぐ正面に向き直る。




「俺は、あんたの思い通りにはならない」




……大事な弟を、綾之助を、絶対に独りにはしない。


掴んだ右肩が鈍く痛む。……きっと、綾之助の心の痛みはこんなものではない。


父が分かろうともしない、心の痛み。物心ついた時から、他人に疎まれる辛さ。
ずっと独りで、未だに耐えている。




いつも、


――大丈夫だ、と笑う。



同時に、


――大丈夫だ、と泣く。




綾之助は雅景の前で泣いたことがなかった。いつも優しく笑っている。それが、雅景にとって歯痒く、悲しい。


辛いならば、苦しいならば、泣いてほしい。怒ってほしい。



「――俺は綾之助が"本当に"笑って暮らせるようにしたいだけだ。……綾之助を傷つける、あんたのやり方が俺は気にくわない」

「……」

「あんたは一体、何を守ろうとしてるんだ?」

「……」


――家族を引き裂いてまで。重成の返事を待たずに、雅景は道場を出て行く。


離れて行く足音を遠くに響かせ、道場は静寂に包まれた。


道場に取り残された重成は一人、じっと身動きをしないで、雅景を見送っていた。








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