赤ん坊が泣いている。遠い遠い所で。
何故、あの子ばかりが疎まれ、"忌み子"などと呼ばれなければならないのですか?
何故、皆は私を責めないで、あの子ばかり責めるのですか?
――どうか、お応え下さいませ。
それは何故なのですか、重成様…――
………………………………
「――お勤めから今、お帰りですか。重成殿」門から出ようとしていたところを呼び止められた、不知火藤次郎重成(しらぬいとうじろうしげなり)は歩みを中断し、振り返った。山のように書物を抱え、眼鏡のずり落ちた同輩は、重成の隣に並ぶと歩調を合わせて、歩き始めた。
「……思ったより手間がかかってな」
「それは、お疲れでしょう。ご多忙のようですし」
「大したことはない」
気遣う同輩に、にこりともせずに重成は応えると、不意に前を向いた顔を険しくさせ、足を再び止めた。
「……こんなところで何をしている? ――雅景」
重成の視線の先に、着流し姿の雅景が立っていた。腰帯に刀を差してもおらず、髪も結わずに下ろしたままで、やけに艶っぽい。
「散歩を、と思いまして。――おはようございます、父上、佐々木様」
「お、おはよう。雅景くん…」重成の同輩である佐々木は呆気にとられながらも、なんとか会釈した。
有名な旧家の一つである不知火家嫡男である雅景が供どころか、刀さえ帯ずにこのようなところに来ること自体、普通はありえない。
佐々木はちらり、と苦虫を噛み潰した顔をしている重成を見やった。
(……ご嫡男と不仲というのは、どうやら本当のようだ…)
一方、雅景はというと涼しい顔をして、微笑を浮かべ、明らかに不機嫌そうな父親に向かってのんびりと言った。
「最近、家にお帰りになりませんので、母上が心配しておりますよ」
「さっさと着替えて来い。今日の剣術の相手は、俺がする」
「……かしこまりました。――それでは、私はこれにて」軽く会釈をし、雅景が行ってしまうと重成は雅景と反対方向に足を進めた。……どうやら、一旦、家に帰るつもりらしい。
ピリピリとした空気に耐えかねて、佐々木は明るく話を振った。
「それにしても、雅景くんは随分と背が伸びたものですね。私など今にも追い抜かれそうです」
「……」
「そ、そういえば、奥方様のお加減はい、」
「――佐々木」
よりによって、雅景の話を振るとはしたり、と内心ハラハラしながら、佐々木は上目使いで重成を見上げた。
「な、何でございましょう…?」
「その資料、先月あらかた調べ終わっているぞ。因みに、棚にある資料ではなく、足元の箱の中にある資料が正しい」
「――えっ?」
重成に指摘されて、佐々木は初めて自分の間違いに気がついたのだった。
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