目が覚めた。
 まず、ここはどこだろう、と思った。目に入るものすべてが、いつも寝ていた部屋とはあまりにも違っていたのだ。
 まるでテントの中みたいだと思って、そうだ、天幕だと気がついた。そうだ、ここは僕たちがお世話になっている旅芸人の一座が住居として使っている天幕だ。
 そうか。少し混乱していたようだ。僕は戻ってきたんだ。平凡な少年だったあの世界から、魔物を倒さなければならない、この世界へ。
「あ、目が覚めたか?」
 ぼんやりしていると、ふいに声と気配がした。見ると傍らからこちらを覗きこんでいる人がいる。
「気分はどうだ? どこか痛いところとか動かないところはないか?」
「……」
 そこにいたのは、ずっと僕と旅をしてきた相棒のような人で、ある日突然魔物と戦わなければならなくなってしまった僕にいろんなことを教えてくれる師匠のような人で、時には僕を守ってくれる護衛のような人だった。
「ああ、無理するな、寝てていいから」
「いえ、大丈夫です」
 寝ててもいいとは言われたけれども、僕はゆっくり体を起こしてみた。特に痛いところも動かないところもないようだ。
「そうだ、腹は減ってないか? 何か食べるか?」
「いえ、今は」
 あらためて辺りを見回してみる。天幕の中は広いけれども雑然としていた。ここは生活の場であると同時に「舞台裏」でもある、そんな場所なのだ。
「僕は、ずっと眠っていたんですか?」
 尋ねてみると、その質問は意外なものだったらしく、彼は驚いたように目を見開いた。
「覚えてないのか」
 僕はただうなずいた。本当はすべて覚えていた。違う世界でのことも、もちろん灯(あかり)ちゃんのことも。ただそれを正直に言うのにはためらいがあった。そんな、違う世界で違う人間としてすごしていた、だなんて。
 一方で、その間僕がこちらの世界ではどういう状態だったのかはまるで見当がつかなかった。そういう意味では何も分からないと言ってもいいだろう。
 ひとつため息をついて、彼は教えてくれた。
「ここで寝てたのは、まあ、一晩といったところだろう。もう朝というよりは昼だがな。ただ、昨日森で見つかるまでは、そうだな、五日ほど行方が分からなかった」
「五日……」
 正直、そんなものかと思った。あの世界で過ごした時間はもっと長かったような気がする。
 僕は外の様子をうかがってみた。外は明るく、確かに少なくとも夜ではなさそうだ。僕がいなくなってから彼らは移動していないということで、森、というのは僕が迷いこんだあの森のことだった。
「なあ、本当に何も覚えていないのか? 魔物じゃなくても、例えば誰かに捕らえられたとか、危害を加えられたとか、そういうことはなかったか?」
 彼はもう一度そう尋ねた。その様子に、彼が何を心配しているのかが少し分かった気がした。僕の敵は魔物だけではなかったのだ。魔物を倒すというあまりにも特別な力を、妬み、邪魔に感じ、排除しようとする者たち。それはある意味魔物よりも厄介な敵だった。
「いえ、それはないと思います」
 だからきちんと話さなければならないと思った。違う世界のことはともかく、僕がなぜ姿を消したのかは。
「あの……、すみませんでした」
「え?」
 突然頭を下げた僕に彼は面食らったようだった。
「どうしたんだ、急に」
「僕がここからいなくなったのは、魔物のせいでも、何者かによる妨害やたくらみでもなくて……、僕は、ここから逃げ出したんです」
 僕は正直にすべて話した。本当は魔物を倒す旅なんか嫌だったこと、ただ元の穏やかな生活に戻りたかったこと、だからあの日ここを抜け出し森へ入ったこと、そして、
「そして、多分崖か何かから落ちたんじゃないかと思います。……そこから先は分かりません」
 申し訳ありませんでした、と僕はもう一度頭を下げた。
「でも、もう大丈夫です」
 僕は顔を上げる。今回のことで、僕にはひとつ、いやふたつ、心に決めたことがあった。ひとつは、
「今さらかもしれませんが、僕も、立ち向かうことを、決めたので」
 『異物』に、いやそれだけではなくきっと自らの使命にも、毅然として立ち向かっていた、灯ちゃんのように。
 そしてもうひとつは、これは誰にも言えないけれども、いつか本当に魔物を滅ぼすことができたらその時は、神様に、僕の願いをひとつ聞いてもらうのだ。
 それくらいは、きっと許されるはずだった。



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