もう一つの町


 夜もすっかり更けた頃、大砂漠〈ラーナ〉の中心を示すと言われる〈央〉の塔に、人目を避けるようにして近付く人影があった。
 〈央〉の塔の存在自体は広く人々に知られている。しかし、実は塔には扉があって中に入ることができること、そして中には上にのぼる階段と下へ延びる通路があること、さらにその通路を下った先、〈ラーナ〉の南の〈遠砂〉の地下にあたるところには、もう一つの町があってそこに暮らす人々がいること――そういったことは、ほとんど知られていなかった。
 しかし人影は、その一般には知られていないはずの扉を迷わず開け、当たり前のように下へと通路を下っていく。彼は〈遠砂〉の〈放浪者〉の一人、ということになっているが、実はその地下の町の住人だったのだ。
 地下の町にも夜の帳が下りていた。地下にあるため本来ならば常に暗いはずの町には、地上の昼夜に合わせて強さを変える明かりがあるのだ。
 彼はまっすぐにある建物を目指した。他より大きく立派に見えるそこには、彼ら地下の住人たちの王が住んでいる。
「王に御用ですか?」
 門の前に立ったところで、彼は上から声をかけられた。顔を上げると王の側近が窓から顔を出している。その表情と声音に警戒の色はない。彼らは顔見知りで、彼はむしろ歓迎される立場なのだ。だが側近が告げたのは少し残念な内容だった。
「残念ながら王はいらっしゃいませんよ。塔へ行くとおっしゃっていたのですが、お会いになりませんでしたか?」
「……ああ」
 彼は来た道をちらりと振り返った。
「そうか、塔には登らずに来てしまったからな。分かった。行ってみるよ、ありがとう」
「いえいえ。行ってらっしゃい、お気をつけて」
 手を振る側近に手を振りかえして、彼はまた塔へと引き返していった。


「こちらにいらしたんですね」
 塔の中の階段を頂上近くまでのぼれば、そこには小さな窓があって外を見ることができた。その窓辺に、彼の探す人物の姿があった。
「まっすぐ下に下りて行っただろう」
 人影は振り返った。王、と呼ばれるその人影はしかしまだ幼さを残した少年のものだった。
「ええ、塔へ行ったと言われて引き返してきました」
「塔へ入っていくところは見えたのに、なかなかこちらへ上がって来ないから、おかしいと思ってたんだ」
「見ていたのですか」
「ああ、ちょうどここからは塔へ近づこうとする者がよく見えるんだ」
 来てみろ、と言われて彼も窓辺へ寄った。見えるのは砂漠ばかりだが確かに塔の扉はほぼこの真下にある。
「それで、調子はどう?」
 軽い調子で王は尋ねる。彼はその質問の意味をはかりかねて首をかしげた。
「どうって……相変わらずです。特に体調を崩すこともありませんし」
「そうじゃなくて、何か面白いことはなかったの?」
 王は目を輝かせながらそう尋ねてきて、彼はさらに首をひねった。
「面白いこと、ですか? いえ、特にこれといって何も……。〈遠砂〉という場所柄、人に会うことも少ないですし。他の場所にいる彼らならまた違うのかもしれませんね。近いうちに様子を見に行ってみましょう」
 彼は、地上の様子をいわば調査するために派遣されているのだった。主に〈遠砂〉を拠点とする彼のほかに、西、北、東のそれぞれの町にも一人ずつ、やはり同じように派遣されている。地下の町のことも、自分がその住人だということも知られないようにしながら。
「そうか。僕も一緒に行きたいな」
「いけません。何を言っているんですか」
 地下の町は地上に町ができる前からずっとそこにあった。そしてそこに暮らす人々はずっと地上とは隔てられて生きてきた。地上に町ができたことやそこにも人々が暮らし始めたことも一部には知られていたが、それでもあえて交流を持とうとはしなかった。
 だがこの王は違った。今、少しずつ地上と交流を持とうとしている。その第一歩が、彼のように地上の町に派遣された存在なのだった。最終目的は侵略などではない。ただ、少しずつさりげなく、自分たちも地上の町に紛れ込むことだった。
 けれども長く地下で暮らしてきた人々にとって、地上は過酷な場所だった。実際王自身は地上に適応できないだろう。それでも、せめて適応できる体質のものだけでも地上へ行かせてあげたい、そう思っている。
「分かってるよ。冗談だよ。――ところで、本題はなんだったの?」
「本題、とは?」
「だから、何か用事とか報告することとかがあって来たんだろう? まさか僕の顔を見に来たとかいうわけでもないだろうし」
 王はそう言って肩をすくめ、また小窓の外へ視線を移した。そのどことなく寂しげな横顔に彼は微笑んだ。
「そのとおりですよ。あなたに会いに来たのです」
「え? そうなの?」
 王は目を丸くして彼を振り向いた。冗談のつもりだったのに真面目に返されてしまって戸惑っているようだ。
「いけませんか」
「いや……、でも、本当に?」
「本当ですとも。私は、いや私だけではなく皆、あなたのことをとても大切に思っているのですから」
 幼くして王を継がなければならなかったその姿は確かにまだ細く頼りない。けれども芯の強さと気さくな人柄で王は皆から慕われていた。何より、代々続いてきた『王』という存在は、それだけで地下の町の住人の心の支えとなっている。町を照らす明かりのように。
「なんだか改めてそう言われてしまうとどうしていいかわからないなあ」
 ただ、王本人は自分はまだまだ未熟だと、それほど尊敬されるには値しないと思っている。しかしそんなところさえも、逆に慕われる要因だった。
「そういう時は素直に受け止めてくださればいいんです」
「そうか。うん。ありがとう」
 王は微笑んでうなずいた。


「さあ、もう帰りましょう。ここは冷えますし、皆も心配します」
 彼は王に声をかけ、促すように歩き出した。
「過保護だなあ」
 王は苦笑いしてそれに続こうとし、けれどもふと足を止めた。
「そうだ」
「どうしました?」
 何か忘れ物を思い出したかのように立ち止まった王は、身をひるがえしまた小さな窓に駆け寄るとそこから顔を出して、
「おおーい!」
 と一声叫ぶと急いで戻ってきた。その表情はまるでいたずらっ子だ。
「何をしているんですか」
「噂になればいいな、と思って」
「噂?」
「そう、この塔には何かいる、とね」
 呆れ顔の彼に、王は楽しそうに笑う。
「なんなら、君が噂を流してくれても構わないよ」
「そんな噂流してどうするんです」
「そしたら、いつか地上の誰かがこの塔を調べ始めて、もしかしたら僕らにたどり着くかもしれないじゃないか」
 帰ろう、と彼らは塔を下へと降りてゆく。自分たちの去ったあとの塔を、誰かがふと足を止めて見上げている――そんな想像をするだけでも楽しかった。



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