丸い地図


 果てのない砂漠といわれる大砂漠〈ラーナ〉。そこにはいくつかの湖とそれに寄り添うようにして人々の暮らす町があった。代表的な湖と町は三つ。西の〈天海(あまみ)〉北の〈凍織(こおり)〉そして、
「――そして、この東にあるのが、私たちの住む〈夕鷹(ゆたか)〉です」
 ここは夕鷹の町の長の家。丸い地図を壁に掛けて話をするのはこの町の長。そして彼の前では十代半ばくらいの少年少女たちが話を聞いていた。彼らの手にも、それぞれに配られた同じような丸い地図がある。この町では、子どもとされる十五の年までは、こうしてたびたび長の家に集まってはさまざまなことを学ぶことになっているのだ。
 そのうちの一人、朱羅(しゅら)も、地図に視線を落として、長の話をぼんやりと聞いていた。
 丸い地図の中央には、ラーナの中心を示すといわれる〈央〉の塔がある。それはちょうどどの町からも同じくらいの距離にあった。さらに、央の塔の南側には湖すらもない砂漠〈遠砂(とおのすな)〉が広がっている。
 朱羅はひとつため息をついた。長の話はもうとっくに知っていることばかりでちっとも面白くない。


「朱羅ー、一緒に帰ろう」
「うん」
 長の話も終わり、朱羅が家に帰ろうとしていると、同じように帰ろうとしていた紅娜(くな)が声をかけてきながら駆け寄ってきた。朱羅はちょっと立ち止まり彼女を待つと一緒に歩き出した。
「ねー、朱羅は十五になったらどうするの?」
「うーん」
 早速、といった様子で紅娜が話しかけてくる。朱羅はちょっと考え込んだ。二人とももう十四だ。十五になれば大人として基本的には何か仕事に就かなければならない。
「……とりあえず、猟師かな」
「へー、すごいねー」
 朱羅が答えると紅娜は目を丸くした。
「猟師って町の外の砂漠に出るんでしょう? そんな厳しい仕事なんてあたしにはとても無理だよ。それをとりあえずだなんて朱羅はすごいなあ。やっぱりお姉さんの影響?」
 朱羅には姉が二人いる。そのうち一番上の姉、青綺(せいき)は、砂漠に出て獲物をとる猟師の副長をやっている。若い女性の副長はあまり例がなく、青綺はちょっとした有名人でもあるのだ。
「まあ、そんなとこかな。ところで紅娜の方は?お店に出るの?」
 一方紅娜の家は商店だ。食料品や日用雑貨などさまざまなものを扱っていて、店はなくてはならない存在となっている。
「うん。まあそれこそ小さいころからそれしかないみたいに言われてきたからねー」
「でも、そういうのって逆にうらやましいなあ。そうやって小さいころからこの先どうすればいいのかが決まってたら悩まなくていいじゃない」
「あはは、そうかもー」
 紅娜はけらけらと笑った。朱羅もつられたようにちょっと笑う。やっぱり紅娜には悩みなんかなさそうだと思う。
「あ、もう家だ。じゃあねー」
「うん、じゃあね」
 気がつけばもう紅娜の家の前に来ている。手を振って家に帰っていく紅娜に朱羅も手を振りかえして別れた。


「ただいま」
 家には誰もいなかった。一緒に暮らす二人の姉はそれぞれ仕事に行っているため朱羅は基本的にはいつも昼間は家にひとりだ。
 荷物を適当なところに放り出す。そのままにしてたら怒られるだろうなと思いつつもきちんと片づける気になれずごろりと仰向けに寝転がった。
 ――朱羅は十五になったらどうするの?
 ――とりあえず、猟師かな。
 帰り道で紅娜と交わした会話を思い出す。猟師になりたい、というのは本当でもあり嘘でもあった。むしろその前につけた『とりあえず』という思いの方が強かった。
 本当はただ、この夕鷹の町を出て、ラーナのいろんなところへ行ってみたいと思っていた。そしてそのためには、まずは町の外の砂漠まで出る機会の多い猟師になって、砂漠に慣れることだと思ったのだ。
 朱羅は勢いをつけて起き上がると、さっき放り出した荷物の中から地図を引っ張り出して床に広げた。
 視線で地図をなぞっていく。〈夕鷹〉を出て、とても寒いといわれている〈凍織〉、ラーナ最大の湖のそばにあり最大の町でもある〈天海〉、いつ誰が建てたのか明らかになっていない〈央〉の塔、どこの町にも属さない〈放浪者〉と呼ばれる人々が暮らしている〈遠砂〉。さらには、大変危険だと言われているため誰も足を踏み入れない、そのため本当にほとんど何も分からず描くことすらできないでいるこの地図の外側、そして。
 顔を上げて窓の外を見れば、よく晴れた青空が広がっていた。その空には、夜になれば青い月〈ディアス〉が浮かぶ。遠い昔には自分たちの祖先も暮らしていたといわれ、かつては自由に行き来していたとも、ラーナのどこかには今もディアスへ行くための設備があるともいわれている。
 ――そしていつか、このラーナも飛び出して、ディアスへ。
 朱羅はいつまでも空を眺めていた。まるでそこにディアスの姿が見えるかのように、ずっと。



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