二章(1/2)


 うっすらと明るくなりつつはあるが、まだ夜明けには少し早い時間。どちらかといえば田舎の方にあるとある神殿。その扉が、微かに軋みながら開いた。
 姿を現したのは一人の青年だった。ゆるくうねる深緑色の長髪を一つに結んで、簡素ながらもきちんと神官服を身にまとっている。手にはバケツや雑巾、ホウキといった掃除用具一式を提げていて、その表情は明らかに眠そうだった。
 彼はシェンダ・フォルス、25歳。深緑色の髪に黒色の瞳、元はそこそこ腕の立つ剣士だったが、訳あってつい最近見習いとしてこの神殿の一員となった、いわばこの神殿内で一番の下っ端である。夜が明ける前に神殿の掃除をするのが彼の一日の最初の仕事なのだった。
 神殿には扉を開けた正面中央に神が座るといわれている玉座がある。そこに向かって一礼してから、フォルスは掃除に取り掛かった。
 けして雑ではない、むしろ丁寧な仕事ぶりだったが、眠そうな表情は相変わらずだった。実際とても眠いのだ。だいたいこんなところで取り繕って何になる、どうせ他の皆様方はまだ夢の中にいらっしゃってこんなところまで来やしないのに。いや神様は常に見ておられるなどと言われるかもしれないが、それこそ神様相手に取り繕ったところでそんなもの簡単に見抜かれてしまうだろう。だったらいっそ正直でいた方がよっぽど誠実だし何より楽だ。
「まあ確かにそれもそうだと思うがねえ……」
「…………!?」
 突然の声に眠気も吹き飛び、フォルスは身構えた。咄嗟に腰に手を回し、そこに剣がなかったことに思わず舌打ちする。
 そうだ、自分はもう剣士ではないのだった。
「さすがに目も覚めたようだね」
 声の主は畏れ多くも神の座に腰掛けていた。ゆったりとした白い衣を纏った小柄な男のようだ。顔は分からない。伸ばしたぼさぼさの金髪がその顔のほぼ半分を隠してしまっているのだ。
「何者だ」
 仕方なくホウキをさりげなく構えるように持ち替えながらフォルスは尋ねた。いくら眠かったとはいえ、侵入者の気配にも気が付かなかったとは。
 だが苛立ちと緊張感を漂わせるフォルスとは逆に男はどこか楽しげだった。
「ほう。何者だ、ときたか。考えてもみたまえ、この椅子が誰のために用意されているのか、まさか知らぬはずはあるまい?」
 フォルスは顔をしかめた。ふざけたことを言うやつめ。
「では改めて尋ねよう。畏れ多くも神の座を汚すお前は何者だ」
 すると男は今度はあきれた様子でかぶりを振った。
「物分かりの悪いやつだ。ではこちらも改めて名乗ろう。私はディケラ、まさにその神様というやつだよ」


「……神様だって?」
 さらに表情を険しくしたフォルスに、そうだとも、と男は大きくうなずいてみせた。
「神以外の何者がこの座につけるというのかね」
「神の座、ね」
 確かにそれは神の座る場所だとされているが、だからといって特別な術などが施されているわけでもなく、それに触れることをためらわせているのは神への畏敬の念とかそういったものだ。逆に言えば、神をも畏れぬようなものにとっては、それはただの椅子を模した飾りにすぎない。
「残念だな、もしここにいたのが子どもだったならばそれで信じたかもしれないが、あいにく俺は少々年をくってしまっていてね、例えば神を騙るようなやからが少なからず存在することも知ってしまっているわけなんだが」
「確かに君は見習いにしては年若くないようだがね」
 通常、見習いとして神殿に入るのは十五から十六歳くらいの少年少女たちがほとんどで、フォルスの年齢で見習いとなることは珍しい話だった。実際フォルスも、普段は自分より十近く年下の見習いたちと過ごしている。もし子どもだったなら、それは相手と同時に自分自身に対しての皮肉でもあった。
「私にとっては人間など皆子どもだよ。それに、君の言うところの子どもだってそれなりに疑り深いものだ。つい先程も私はとある子どもに会ってきたところなのだがね、彼も簡単には信じてくれなかった。全く残念なことだよ」
 そこで男はわざとらしく溜め息をついてみせた。
「しかしここで君が信じてくれないと話が進まないのだがね……。とりあえず、その警戒を解いて私の話を聞いてみてくれないか」
「話だと?」
「私はただ君に頼みたいことがあるだけで、別に君を攻撃するつもりもなければそこいらのきらびやかなものに手を出すつもりもないから」
 ご覧のとおり、と男は両手を広げてみせた。確かに、男は先程からただべらべらと喋っているばかりで、攻撃する素振りはみせない。初めは賊かあるいは魔物かと思ったが。
「……分かった」
 フォルスはひとつ溜め息をついた。もしここで急に男が攻撃に転じてきたとしても、ただの賊ならばたとえホウキでも叩きのめせる自信があったし、もし魔物だとしたらたとえ昔のように剣を手にしていたところでどうしようもないのだ。
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