五章(3/3)


「――なるほど、本物だ、というわけか」
 残された重い沈黙を破ったのはフォルスの独り言だった。先ほどまで男がいた辺りを呆然と見ているしかなかったファーレンもその声にふとフォルスを見てぎょっとした。フォルスもまたファーレンと同じようにあの男の消えた辺りを見ていた。そしてフォルスは笑っていた。抑えきれない何かが笑みとなってこぼれているようだった。
 ファーレンの視線に気づいたのかフォルスもファーレンを見て、ファーレンの顔色に、その笑みを苦笑いに変えた。
「俺はな」
 困ったような、どんな表情をすればいいのか迷っているような様子で、フォルスは話し出した。
「俺は、さっきのあいつから、あんたの護衛をするよう頼まれてここに来たんだ。本当に魔物を滅ぼすために旅をしなければならない『剣を持たない封魔師』の」
「護衛……」
「もちろん最初は俺も半信半疑――いやほとんど信じちゃいなかった。こうやって来たのだって、むしろそうではないことを確認するために来たようなもんだった」
 ファーレンは自分もそう思って図書館に行ったことを思い出した。そして確かに一度はやっぱり夢か何かだったのだと思って安心したのではなかったか。
「それがどうだ」
 それがどうだろう。まるでそんな思いを裏切るように事は進んでいやしないか。
「あんたは見事に魔物を倒してみせた」
「え?」
 ファーレンは目を見開いた。何だろう。何かが違う。自分と彼とでは何かが。
「まさか、信じるんですか? あの人の話を」
「そうだな、少なくとも、あんたが魔物を倒したのは偶然じゃない。魔物に関してたまたまどうにかなるなんてことはあり得ない。つまりあいつが何者で何を企んでいるかは知らないが、あんたの力は本物だということだ。だから俺は信じる。あいつの話じゃなくてあんたの力を。そして、あんたと旅をすることで本当に魔物を滅ぼすことができるのだとしたら、俺はそうしたい」
 フォルスの口調は力強く、そのまなざしは真っ直ぐで輝いている。
「そんな……」
 ファーレンは気が付いた。そして愕然とした。自分とフォルスとの間には決定的な違いがある。ファーレンが、夢だったと思って安心し、本当だと知って途方に暮れているのに対して、フォルスは全く逆で、嘘だったのかもしれないと思って一度は落胆し、やはり本物だと分かってそれを喜んでいるのだ。そして分かった。何故さっきフォルスが笑っていたのか。きっと彼は嬉しかったのだ。ずっと探し求めていた、欲しかったものを見つけたのだから。

       ◇

「あれ?」
 図書館で、イータはファーレンの姿を見つけた。けれども確か彼は昨日も来てはいなかっただろうか。二日続けてくることなどほとんどなかったから少し驚く。
 近づいて声をかけようとして、けれどもイータはそれをためらい立ち止まってしまった。ファーレンの横顔がひどく沈んでいるように、とても疲れ果てているように見えたからだった。すると逆にファーレンの方がイータに気付いて笑顔を作った。
「やあ、イータ」
「おう」
 その無理やり作ったような笑顔に戸惑いながらイータも笑顔を返す。なるべくいつもと同じように。
「それ、もう返しに来たのか。早かったな」
 ファーレンの手にしている本を見てイータは言った。それは確かまだ借りたばかりの、昨日はまだ途中までしか読んでいないと言っていたはずの本だ。
「ああ」
 ファーレンもちらりと本に視線を落とした。
「いや、まだ読み終わっていないんだけど、もういいんだ」
「え? もういいって、そんなにつまらなかったのか」
「そういうわけでもないんだけど……。それどころじゃなくなった、ていうか」
「なあ、ファーレン」
 結局耐えられなくなってイータは尋ねた。
「どうしたんだ? 何か、あったのか?」
 けれどもファーレンはただ、少しね、と答えただけだった。


 以来、ファーレンを図書館で見かけることはなくなった。図書館だけではない、店でも道端でも。だいぶ後になって、どうやら封魔師になるために遠くの町へ行ってしまったらしい、という噂がイータの耳にも入ってきた。
 『封魔師』という言葉に、イータはどうしてもあの時のことを思い出してしまう。姿を見せなくなる直前、封魔師――いや『剣を持たない封魔師』について調べに来たファーレンのことを。そして、変な夢を見たと彼が話していたことを。ファーレンが『封魔師になるために』いなくなってしまったことが、それらと無関係だとはとても思えない。
 自分はどこかで何か間違ってしまってたんじゃないだろうか、とイータは思う。例えば、ファーレンが封魔師のことを調べに図書館へ来たあの時、簡単に諦めずにもっといろんな本を探してあげていたら。例えば最後に会ったあの時、ひどく沈んでいたファーレンにも遠慮せずもっといろんなことを尋ねて、話を聞いてあげていたら。
 ファーレンのことはもちろん気がかりだ。けれども同時に、自分は何か世界についての重要な真実を知る機会を逃してしまったのではないか、そんな風に思えてならなかった。
 真実なんてものは、実は意外な、そして身近なところに転がっているものだというのに。



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