キーボード


 朝、いつものように研究室へ行くと、部屋には音楽が流れていた。僕は音楽には詳しくないからよく分からないけれど、多分クラシックのピアノ曲だ。
「おはよう」
 部屋には伊東が先に来ていて、パソコンのキーボードを軽快に叩いている。
「ああ、おはよう」
 伊東は挨拶を返すと手を止めた。すると同時に、流れていた音楽も止まった。
「あれ?」
 そのタイミングの良さに、そういえばどこで音楽を流してたんだろうと僕は辺りを見回した。すると伊東が、
「これだよ」
 と、目の前のキーボードを叩いた。合わせて、ポン、とピアノのような音がする。
「いい感じでしょ」
 伊東はにやりと笑った。
「ほら、こうやってパソコンで文字打ってるのって、なんだか楽器弾いてるみたいじゃない? そう思ってちょっと細工してみたんだ。こう、文字を打つのに合わせて音が出るようにしてある」
「へー」
 いったいいつの間に、ていうかきっと昨日、夜も寝ないでやったんだろうなあ。
「まあ、僕は別にいいけど……」
 その時、部屋の違う場所から音楽が聞こえてきた。そして、
「なんだこれは!!」
「……ほら、河原がキレてる」
「やっべ」
 伊東は肩をすくめ、けれども逃げるでもなく逆に河原に駆け寄っていった。こうして河原がキレるのも分かっていて、いやむしろそれが面白くてやってるんだろうな、きっと。
「伊東! 今すぐ消せ! 真面目にやれ!」
「はいはいすみませんね。――うおっ」
 あ、蹴られてる。
 河原は荒々しく足音を立ててまた別のパソコンに移動した。するとそこからも音楽が流れてくる。河原のタイピングは爆速だからどんな曲もまるで早送りだ。
「こっちもか!!」
 どうやらこの部屋のパソコン全部に細工をしたらしい。よくやるよまったく。
 せっかくなので僕も試しに目の前のパソコンで文字を打ってみた。僕のタイピングはいまいちなので、ちょっと間抜けなスローテンポの曲になってしまった。



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