川辺さんと夜明け


 まさかここで川辺さんに会うとは思わなかった。
 だって今はまだ夜明け前の薄暗い時間だ。確かにあたしが自転車を飛ばして来たここはいつも川辺さんのいるあの川沿いの遊歩道だったけれども。
「川辺さん、何してるの?」
 あたしは思わず川辺さんに声をかけた。声をかけてから、まさか本当に川辺さんはここに住み着いてるんじゃないだろうかと思った。
「そっちこそ、どうしたの?」
 一方川辺さんも驚いているようだった。いや川辺さんの方こそこんな時間にあたしに会うなんて考えもしていなかったのかもしれない。
「んー、何となく」
 うまい答えが見つからなくてあたしは言葉を濁した。うまく言えないけれども、急に朝日というか夜明けを見たくなって、いや見るというよりは全身で感じたくなったというか夜が明けていくなかにただぼんやりと佇みたい気分というか衝動みたいなものに駆られてあたしはここまで自転車を飛ばしてきたのだった。
「なるほど、青春だね」
 川辺さんはあたしの言葉にならなかった部分まで分かったかのようにそう言って微笑んだ。ていうか青春とかそんな恥ずかしい言葉で片付けられたくないんですけど。
 よっこらしょとあたしは自転車のスタンドを下ろした。せっかくだからここで川辺さんと一緒にぼんやりしよう。音楽でも聞こうかと思って持ってきてたプレーヤーは結局自転車のカゴの中、小さなカバンに入れたままだ。
「自転車か。乗れたんだな」
「いやあたしだって自転車くらい乗れるし。川辺さんこそひょっとして乗れないんじゃない?」
「乗れない、かもしれないな」
「え? 本当?」
「乗ろうとしたことが、なかったから」
「……乗ってみる?」
「いや、やめておくよ」
 会話が途切れると、何だか急に静かになって、川の流れてゆく音さえも聞こえてくるような気がした。吹いてきた風が、思いのほか心地好くて、そういえば暑いなと今更のように思った。
 カラスが鳴いていた。カラスといえば夕方のイメージがあるけれども朝の方がよっぽど鳴いていた。朝のイメージのあるニワトリとかスズメとかよりも。
 朝日はまだ出てこない。まあ方角的に日の出が見れる感じでもないし。けれども空を見上げれば少し色が明るくなってきているような気がする。
 それにしても、まさかここで川辺さんに会うとは思わなかった――改めてそう思ってあたしはちょっと笑った。けれども同時に、本当に? とどこかで誰かが言った気がして、今度は急に、なんだかうまく笑えないみたいな感じになってしまったのだった。



そこから生まれる物語/小説トップ
- ナノ -