特に理由はなかった(2/2)


 科学部が活動しているのは、渡り廊下の先の『別館』と呼ばれている校舎の最上階にある、元々は特別教室だった場所、だということだった。
「別館の最上階なんて、なんだか初めて行くような気がするなあ」
 階段を上りながらぼくが言うと、真は笑った。ぼくらの声や足音は人気もなく静かな中で思ったよりも大きく響く。
「そりゃ言いすぎだろ。まあ俺も最初は驚いたけど」
 真には笑われたけれど、本当にそんな気がした。別館の、しかも最上階なんて、確かに昔は使われていたかもしれないけどもうずっと前から使われていない、そんな教室ばかりだった気がする。
 そこは、階段を上りきってすぐ左手にある教室だった。扉のところに『実習室』という表示はあったけれども、つまり何をする教室だったのかは分からなかった。
「ここだよ」
 真は扉を開けた。昔っぽい、ガラガラという大きな音がした。
 中は普通の教室よりは広くて、理科室とか技術室のような印象だった。大きなテーブルのような机と、それを囲むように背もたれのない丸椅子が置いてある。ぼくらが入ったのは教室の後ろの扉からで、向こう側、教室の前の方には黒板と教壇があった。
「あ、みなさんもう来られてたんですね、すみませーん」
 言って真は急ぎ足で前の方に向かい、ぼくもその後を追いかけた。確かに、一番教壇に近い前の真ん中の机の所に生徒の姿がある。制服を見れば男子が二人、女子が一人、そして真の様子からするとどうやらみんな上級生――三年生のようだ。扉の開いた音に気づいてか、みんなこちらを見ている。
 そして、もう一人。
「せんせーも。こんにちはー」
 先生?
 その人は机ではなく教壇の方にいた。先生、と真は呼んだけれども、こんな先生、この学校にいただろうか。少なくともぼくは知らない、初めて会う人だった。
 なんというか、まず見た目が独特な人だった。顔を隠すように前髪を長く伸ばしていて、見えるのは顔の下半分くらいだ。この状態で前が見えるんだろうか。逆に後ろはそこまで長くなさそうなのをきつそうに一つに結んでいる。まあ着ているものはゆったりとしたハイネックのセーターで特に奇抜でもないんだけれど。
「こんにちは、桂木君」
 その『先生』は真を見て微笑んだ。一見性別も不詳な感じがしていたけれども、声の感じは男性のようだ。それから、ぼくの方を向いて、
「そちらが、葉月時緒君ですね」
「え? あ、はい」
 突然フルネームで呼ばれてぼくは驚きつつも頷いた。真を見ると真もなぜか同じように驚いている。
「あれ? 俺、せんせーに時緒のこと話してたっけ?」
 え?
 どきっとした。どういうことだろう。
「ええ。聞いてましたよ」
 けれども『先生』はこともなげにそう答えた。そうだったかなあ、と真はまだ腑に落ちない様子だったけれどもすぐに、まあいいか、と納得したようだった。なんだ、とぼくもほっとする。つまりは真がど忘れしていただけなんだろう。
「初めまして、葉月君。わたしは、この科学部で特別顧問としてお世話になっております、藤夢積といいます。厳密にいうと教師ではないのですが、まあそんなようなものだと思ってくださってかまいません。桂木君もせんせーと呼んでくれていることですし。ただ、苗字の方で呼ばれるのは少し苦手なので、できれば名前の方で呼んでくださればと思います。どうぞよろしく」
 そう言って特別顧問の先生――いや夢積さんと呼ぶことにしよう――は、ぺこりと頭を下げた。そうか、この人が真の言ってたすごい先生なんだ。
「初めまして、葉月時緒です。よろしくお願いします」
 ぼくも挨拶して頭を下げた。するとそれまで戸惑いながら様子を伺っているようだった先輩たちのうちの一人が、なるほどと納得がいったように笑顔を見せた。
「ああ、新入部員か。ようこそ初めまして、僕は一応ここの部長で三年の桐島です。そしてこっちが同じく三年の佐倉、彼女は立花。実は部員は今ここにいるこれだけしかいなくてね。さすがに少なすぎて参っていたところだったんだ。よろしく」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 ぼくは再びぺこりと頭を下げた。それにしても、確かに少ないとは真も言っていたけれども、これだけなんて予想以上の少なさだ。しかも三年生ばかりだし。ちらりと真を見ると真は苦笑いで返した。なるほど、三年生ばかりの中に二年生一人じゃちょっとしんどいかもなと、真がぼくを誘った理由も分かるような気がした。
 ふと夢積さんの姿が目に入った。彼はにっこり微笑んでいた。
 絵に描いたような笑顔だ、と何故か思った。



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