ギャップ


 ポケットから煙草を取り出している中嶋さんの姿が目に入った。
 こういうところがこっちの部屋に配属になって良かったなあと思える点の一つだった。この部屋は僕らのような喫煙者にはありがたいことに煙草を自由に吸ってもいいのだ。実質的なトップの副所長がヘビースモーカーなせいだ。逆にもう一つの部屋――二階の方は禁煙だった。部屋の主が意外にも健康に気を遣うたちだからだ。
 中嶋さんを見るともなしに見ていると、どうやらポケットから出した煙草は空だったらしい。一つため息をついてぐしゃりと箱を潰している。
 僕は中嶋さんに声をかけた。
「一本いりますか?」
 中嶋さんはちらりと僕と僕の差し出した煙草を見て首を振った。
「いや、いい」
 僕はぐしゃりと潰された煙草の空き箱を見た。僕のものとは銘柄が違う。確かニコチンだかなんだかの含まれる量で煙草のキツさは違っていて、それは相当キツい部類のものだった。
「中嶋さんキツそうなの吸ってますよね。確かに僕のなんかじゃ吸った気がしないでしょうね」
 僕の煙草はどちらかといえば軽いほうだ。普段より軽いものだと吸った気がしないと誰かが言ってたなあと思い出しそれが誰だったかも思い出してちょっと笑いそうになった。中嶋さんが言ってたんだった。
 中嶋さんは空き箱を手に取るとさらに握り潰してぽんと上に放り投げ受け止めた。
「ずっとな、父親がこれを吸っていたんだ。小さいころから煙草といえばこれだったから、自分が吸い始めたときも自然とこれを選んでいた」
 僕はちょっと驚いていた。『父親』という単語と、昔の話をする中嶋さんに。
「なあ伊東、お前家族と連絡は取ってるか?」
「取るわけないでしょう」
 過去も家族も全て捨ててここに来たのだ。まるで最初からそんなものなどなかったかのように。そしてそれはみんな同じようなものだろうと思っていた。誰も何も言わない、聞かない、それは暗黙のルールだと思っていた。そんなものは最初からないのだ。
「俺も、そういえばもうずいぶん会ってない。……そうだな、人生の半分は顔を合わせていない計算になる」
 そういえばこの人は僕よりだいぶ年上なんだったなあと改めて思った。人生の半分はどうこうなんて言い回し、僕にはまだちょっと使えない。僕も年を取ればそんなことを言うようになるのかなあと思ったけれども想像がつかなかった。
 僕は一つため息をついて、言った。
「帰りたいなら帰ればいいじゃないですか。誰も――」
 誰も止めやしませんよ、と言いかけてやめた。
「誰も怒りゃしませんよ」
 そして中嶋さんは僕の言いかけた言葉が分かったように、ただちょっと笑った。



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