秘密組織の朝は早い


 目が覚めた。
 起き上がるとそこは当然といえば当然ながら、ゆうべ寝る前と同じ布団の中、ベッドの上、部屋の中だった。家のあたしの部屋とは違う、広くて殺風景な部屋。わけも分からず連れてこられた、『悪の秘密組織』の研究所の一室だ。
 窓の外からは明るい光が射し込んできていた。もうすっかり朝だ。そしていい天気だ。そうか、こうして寝て起きてもやっぱり何も変わらなかった、秘密組織も特殊能力もスーパーヒロインも眠り姫も焼肉も、全部夢じゃなかったんだなあ、と思い、確かに自分は諦めが悪いのかもしれないと思った。
 ゆうべはあの歓迎会の後、この部屋に戻ってきたところで急激に眠気が襲ってきて、今日は大変だったなあとか感慨にふける間もなく寝てしまったのだった。もしかしたらただ単にとても疲れていただけなのかもしれないけれど、もしかしたらあたしの知らない間にお酒か薬でも飲まされていたのかもしれないし、もしかしたら誰かに催眠術でもかけられていたのかもしれない。
 ……。
 うん、やばい。発想がおかしくなってる。
 いやな気分を振り払うようにあたしはぶんぶんと首を振った。やりすぎたのかちょっとだけ頭がくらくらした。
 あらためてケータイを見ると、だいたいいつも起きてる時間だ。ただ電波は相変わらず圏外で、もちろんメールも着信もなかった。これじゃあもはや時計でしかない。
 やばいな、と改めて思った。昨日一日、いや半日、いや数時間で、つくづくここはやばい所だと思った。こんな所からは早く脱出しなければならない。
 また昨日みたいにカーテンを少しだけ開けて外を見てみる。窓の向こうはやっぱり閑静な住宅街だ。今はまだ朝早いせいか人通りはないけれども、もう少し経っていわゆる通勤通学の時間になれば、ご近所さんたちでそれなりに人通りも多くなりそうだった。
 だったらそれに合わせて助けを求めてみるのはどうだろう。例えば誰か人がそこを通るのを見計らって、この窓から身を乗り出して叫んでみるのだ。あたしはここに誘拐されてるんです、助けてください。
 ……なんてね。
 あたしは思わず苦笑いした。そんなことしたところできっと無駄なんだろう。確か遙さんが言っていなかっただろうか。この研究所は建物自体が普通の人には見えない仕掛けになっているって。
 ため息とともにカーテンを元通り閉めようとして、けれどもあたしは逆に勢いよく全開にすることにした。せめて少しでも明るくしたいと思ったのだ。部屋の中も、あたしの気分も。
「……」
 そういえば、特殊能力って昨日のあれだけなんだろうか。例えば空を飛べたりなんかはできないのだろうか。そしたらこの窓から脱出することもできるのに。そうだ、怪我を治すことができるとかでもいい。そしたらここから飛び降りて、もし骨折とかしてしまってもすぐに治して逃げ出せる。ただ飛び降りるのはちょっと勇気がいるけど。
「何してるんですか?」
「え?」
 窓の外をぼーっと眺めながらまたあれこれ考えていると、急に声とともにガラガラと扉が開く音がした。驚いて振り返ると倉沢さんだ。昨日と同じ白衣姿で、手にはスーパーかコンビニの白いレジ袋を提げている。
「おはようございます」
 さわやかな笑顔が逆に胡散臭い。
「おはようございます」
「ずいぶんお早いですね」
「……そちらこそ」
 それこそまだずいぶん早い――普通に仕事とか始めるにはまだ早い時間だろうに。タイミングがいいなと思い、そこで監視カメラの存在を思い出してなんとも複雑な気分になった。きっとあたしが起きたのに気づいてやってきたということなんだろう。
「倉沢さんも朝早くからわざわざ大変ですね。昨日はここに泊まり込みだったんですか」
 つい嫌味も言いたくなってしまうというもんだ。
「ああ、それはお気遣いありがとうございます」
 もっとも、効果があったのかどうかは分からないけれど。
「けれどもご心配なく。この研究所には寮も併設されていましてね、私を含め所員はみなそこに住むことになっているのですよ。まあ、桂木さんみたいに、もはや研究室に住んでるみたいな人もいますがね。ここに入るときに、それまでの生活とか人生とか、そういったものはすべて捨ててきてもらう、それがここの方針でして」
「そうなんですか」
 人生を捨ててくるとかさりげなく出てくるフレーズがやっぱり怖い。
「ええ。ですから」
 そこで倉沢さんは思わせ振りに台詞を切った。
「一度入ったら出られない、それは、我々も同じなのですよ」
「…………」
 でもこの人たちは望んでここにいるはずだ。無理矢理誘拐されてきたあたしとは違う。
「そうだ、あなたもいずれ、寮の方に移ってもらうことになりますね。それとも、桂木さんみたいにこの部屋に住みますか?」
「別にどっちでもいいです」
 あたしはひとつため息をついた。
「……どっちにしろ、あたしはこんなところに長居するつもりはないですから」
「おやおや」
 倉沢さんは少し驚いたようだった。と同時にあたしもぎょっとした。しまった、言うつもりじゃなかったところまで言葉になってしまっていたらしい。あたしは恐る恐る倉沢さんの様子をうかがった。怒られるというか良くない事態を引き起こすんじゃないかと思った。けれど、
「ところで、体調の方はどうですか? 夜中に暴れたりはしていなかったようですが」
「……夜中に暴れるって」
 どうやら気にすることはなかったらしい。
「いや、本当に懸念していたのですよ。何せ特殊能力の後付けですからね」
 言いながら倉沢さんは持っていたレジ袋をベッド脇の台に置いて、部屋の隅からパイプ椅子をベッドの横に持ってくるとどっこらしょと腰を下ろした。
「でもまあ大丈夫そうですね、ひとまず第一段階はクリアというところでしょうか」
「はあ」
 そして今度はレジ袋の中身を取り出して台の上に並べている。何を持ってきたんだろうと思っていたけれども、出てきたのはパンと、ジュース?
「それじゃあ、とりあえず朝ごはんにしましょうか。菓子パンと惣菜パン、コーヒーとジュースとありますが、どちらにいたしますか? あ、ちなみに残った方は私がいただきますね」
「えー……」
 いやのんびり朝ごはんなんて(それも倉沢さんと二人で?)と思ったけれども、
「食べ終わりましたら、そうですね、先に少し研究所内を案内してから、一階に行ってみましょうか。まだ紹介できていない人もいますので。その後は、例の特殊能力の訓練をしないといけませんね。とにかくまずはそれを自由に使いこなせるようになっていただかないと始まりませんから」
「……はい」
 やれやれ、どうやらこの後も予定が詰まっているらしい。そしてそれにはずっと倉沢さんがついてくるんだろう。あたしはまたひとつため息をついて、とりあえず菓子パンとコーヒーで朝ごはんにすることにした。正直とてもそんな気分じゃなかったけれども、それこそ、まずはちゃんと食べておかないと始まらない。



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