バス停のセレブ


 バス停には先客がいた。
 その日あたしはたまたま一人で学校から帰るところだった。いつもなら友達と一緒なのだけれども、ちょっとタイミングが合わなくて。
 いつも利用している、学校から一番近いバス停。そこに先客がいること自体は別に珍しいことではなかった。それが例えば同じ学校の生徒とかご近所のおばちゃんとかだったなら。けれどもその時そこにいたのは、同級生やご近所さんなどとは全然違う雰囲気の人だった。
 それは白い帽子に白いワンピースの女の人だった。つばの広い大きな帽子を半ば顔を隠すように斜めにかぶっていて、それが逆になんだかすごく目立っている。そして遠目からでも綺麗な人なんだろうなと思わせるスラリとした立ち姿に、肩を越すくらいの真っ直ぐな黒髪、さらによく見ればサングラスもかけていて、要するに、まるでセレブか芸能人かと思わせるような人だったのだ。
 でもどうしてそんな人がこんな郊外というか田舎の学校の最寄りのバス停なんかに?
 あたしは辺りを見回した。たぶんきっとその辺にカメラとかスタッフとか付き人みたいな人がいるはずだ。けれどもそのような人影は見当たらなかった。とするとまさかこれはひょっとしてお忍びで何とやらってやつだろうか、このあと秘密の恋人とか現れたりするんだろうか、もしかしてあたしは今見てはいけないものを見てしまっているんじゃないだろうか。ていうか芸能人なんて初めて見たなあ、誰かはよく分からないけどやっぱりオーラってあるんだなあ。帰ったら自慢しよう。明日学校で友達にも自慢しよう。
 あたしはそんなことを、バス停から少し離れたところで立ち止まってぐるぐる考えていた。すると突然、その女の人がこちらを見た。
 え、うわ見つかっちゃった、どうしよう。
 あたしが固まっていると女の人は挨拶するように少し頭を下げてくれた。あたしもちょっと頭を下げる。そしてこんな中途半端なところで立ち止まっているのも変な気がするしどうしようと思いながらバス停に近付いた。けれどもやっぱりとても女の人の近くにまでは行けなくてバス停の端ぎりぎりのところでまた立ち止まる。ていうかどうしよう。こんなセレブか芸能人かみたいな人と二人きりなんて正直気まずすぎる。いっそのこともうバスが来てくれればいいのにと思ったけれども確かバスの時間まではまだだいぶあるはずだ。
 そしたら今度は女の人の方からあたしに近付いてきた。大きな白い帽子のつばを少し上げて、顔を見せて微笑んだ。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
 女の人は声や話し方まで綺麗な気がした。近付くと思ったよりも背が高くてあたしはちらちらとその顔を見上げた。けれども近くで見ても芸能人の誰なのかまではやっぱり分からなかった。あたしが知らないだけかな。それとも芸能人じゃなくて超セレブが正解なのかな。
「あなた、あの学校の生徒さん?」
 あの学校、と言いながら女の人はあたしが今しがた下ってきた坂道の方を指差した。ちなみに学校は丘の上というか山の上にあって、行き帰りには結構な坂道を上り下りしなければならないのだ。
「あ、はい」
 そのとおりなのであたしはうなずいた。緊張のあまりこくこくと過剰にうなずいてしまったような気がする。
「それじゃあ」
 うなずくあたしに女の人は今度はにっこりと笑うと続けて質問をしてきた。
「あなたも、例えば特殊な能力があるとか、そういう家柄だったりするの?」
「はっ? いや、それは――」
 それは誤解だった。
 実は、確かにあたしの通う学校であるK学園にはいろいろと変な噂があって、例えば、実は誰々さんは超能力者らしいとか実は誰々さんの家は代々化け物退治をやっているらしいとか実は生徒の中には妖怪が紛れ込んでいるらしいとか、さらには、実は誰々先生は何やら怪しい研究をしているらしいとか実は某準備室の奥のドアは異世界につながっているらしいとか実は緊急時には校舎が巨大ロボットになって空を飛ぶらしいとか、とにかくいろいろとあるのだが、最大の噂は、実はこのK学園自体がそういったちょっと特殊な人々のためのいわば隠れ蓑のような場所になっていて、そこに通う生徒たちは皆何かしらそういった特殊な事情を抱えているらしい、という噂だった。
 だがもちろんそんなものはただの噂だ。当然あたしは超能力者にも妖怪にも異世界への扉にも巨大ロボットにも出くわしたことなどないし、周りの友達だってそうだ。中には何やら期待して入学してくる生徒もいるそうだが、そういった生徒たちもすぐにここも普通の学校に過ぎないことを知ってがっかりしているという。
 で、どうやらこの女の人もそういった噂を信じているらしい。もしかしたらそれを知って見に来たとでもいうのだろうか。さすがセレブ。変わってる。
 いやいや、ていうか全然そんなことないし。あたしは慌てて訂正しようとした。だが結局それはできなかった。
「まあいいわ」
 それは誤解です、とあたしが言う前に、女の人はそう呟くとどこか優雅な手つきでサングラスに手をかけた。そして指も綺麗だなあとどうでもいいことを思うあたしの前でスッとサングラスを外してあたしを見た。
 あたしはぽかんとその人を見上げた。その人の目がそれは綺麗な青色をしていたからだ。変なたとえかもしれないが、ちょうど青い入浴剤をお風呂に入れたときのような、絵の具の青を水に溶かしたときのような、透明感のある、綺麗な。
 それでこの人はサングラスをしていたのかとあたしはぼんやり思い、そして、
 ……あれ? そして?



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