買い出し


「あ、伊東さん」
 廊下に伊東さんの姿を見つけて俺は声をかけた。
「ん?」
 俺に気づいて伊東さんもこちらを見た。その手には小さなメモがある。
「伊東さん、買い出しですか?」
「ああ、そうだけど」
 いくらこの研究所が外界と隔てられているとはいっても、必要なものの全てが所内でまかなえるというわけでもない。そのため定期的に外へ買い出しに行かなければならなかった。その買い出し担当が伊東さんだ。てっきりローテーションで行っているとばかり思っていたがそうではなく、伊東さんが毎回行っているそうだ。
「なに?何か買ってきてほしいものある?」
「いえ、ただいつも申し訳ないなと思いまして。あの、買い出し俺が行ってきましょうか?」
「え?」
 俺の申し出に伊東さんは一瞬驚いて、それから慌てて笑顔の前で手を振った。
「いやいやいや、そういうわけにはいかないよー」
「そんな、遠慮しないでくださいよ。ていうかそもそも俺が行かなきゃでしょう、一番下っ端なんですから」
「何言ってんの、そっちこそそんなこと気にしなくていいって」
「でも……」
「いや本当にいいってば」
 伊東さんはなかなか折れてはくれなかった。本当に遠慮しているだけなんだろうか、こうまで頑なに断り続けるのには何か別の理由があるんじゃないだろうか、そうちらりと思った。考えすぎだろうか。
「……そうですか?」
 結局、俺の方が引くことにした。
「なんかいつもすみません。よかったらいつでも俺代わりますんで言ってくださいね」
「うん、ありがとう。じゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
 伊東さんは俺に手を振るとスタスタと行ってしまった。俺はその様子を見送りながら一つ溜め息をついた。心なしか伊東さんが慌てているように見えたのも、俺の気のせいだろうか。
「残念だったねえ、りょーちゃん」
 声がして、俺は振り返った。するといつからそこにいたのか、桂木さんが少し離れたところからにやにや笑って俺を見ていた。
「買い出し当番になれれば堂々と外に出れるのにねえ」
 さらに桂木さんはそう言った。別にそんな、と言いかけて俺は口をつぐんだ。何を言っても言い訳がましく聞こえてしまうような気がした。
 そう、確かに桂木さんの言うとおりだった。いくらこの研究所が外界とは隔てられ出入りすらままならないといっても、買い出しに行くためにはどこからか外に出なければいけない。つまり、外に出るための方法はあるのだ。それを知るための一番手っ取り早い方法が買い出しに行くことだと思ったのだった。



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