ホタル
どれくらいぼんやりしていたのだろう。
気が付くと辺りは薄暗くなっていた。ふと視線を感じてその先を追うと、少し離れて置かれたベンチで、驚いたようにこちらを見ている男性の姿があった。手にした煙草の火がかすかに光っている。
「ああ、すみません。なんというか……急に動かれたので」
目が合うと彼はそう言った。きっとベンチの一部が動いたようにでも見えたのだろう。いいえ、とおれも苦笑いしながら会釈して視線をそらした。
「あなたは……」
ところが彼はまたおれに話しかけてきた。
「いったいどれほどの時を、そうやってやり過ごしてこられたのです?」
「え?」
どういう意味だ?
再び目をやると、彼はおれを見て微笑んでいた。その微笑み方が誰かに似ているような気がして、そして、
「あなたのことは、夢積さんから聞きました。唯一あの人と同じ存在でありながら、決して相容れようとしない存在。気になりましてね、見に来たんです」
それが誰に似ていたのか気付いた。
「そうか、おまえ……あいつの仲間か」
そうだ。あいつが仲間を得たと言っていたのを思いだした。
「居場所もあいつに聞いたのか。あいつは何でもお見通しか」
やりきれない気分だった。結局、いくら逃げようとしたところであいつからだけは逃れられないのか。
「さて、私はあなたをなんと呼べばいいんでしょうね。先ほどの少女のように、川辺さん、と?」
「おまえ、いつから見ていた」
「去り際だけですよ」
――またね、川辺さん。
いつものようにそう言って彼女は帰っていった。……いつものように? 本当に? 彼女は戸惑っていなかったか? 自分は彼女を困らせていなかったか?
「正直、意外でした。あなたもまたあの人と同じように、どこか世界を超えたところで泰然としているのかと思っていたのに。彼女を見送るあなたはまるで――、同じ痛みに苦しむ同志にしか見えなかった」
「同じ?」
「ただの胸の痛みですよ。敵とか味方とか平凡とか特殊とかそんなものを超えた、もっと普遍的で、個人的な」
彼は一つ長いため息をついた。いや、煙草の煙を吐いただけなのかもしれなかった。なるほど、あれはこんな時に役に立つのかと思った。
「傍にいるのに手を伸ばせない。それだけのことなのに、こんなにも苦しい」
みるみるうちに辺りは暮れて、もう彼の姿はおぼろげな輪郭だけになっていた。
「ご存知ならば教えてくれませんか」
煙草の火だけがちかりと光る。
「どうしようもないかなしみを、やり過ごすすべを。彫像のように、何も感じずにいられる方法を」
そんなもの、おれは知らない。
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