三代目


「え?」
 そういえば最近桂木さんどうしてるのかな、と思って二階に上がってみると、桂木さんは二階のまっすぐな廊下の途中で窓際の壁に寄りかかって座り込んでいた。
「桂木さん、何してるんですか」
 驚いて駆け寄ると、桂木さんは僕を見ないで目の前の壁をぼうっと見上げたまま言った。
「……女神様を待ってるんだ」
 その内容の訳の分からなさよりもその声の力のなさに僕はぎょっとする。
 女神様、の話なら誰かからなんとなく聞いていた。この研究所の特殊システムのエネルギー源となっているのは一人の女性で、どこか隠された部屋の中で今も眠り続けているのだという。
「覚えてるよ、確かにここには扉があったんだ。この部屋何なの、ってせんせーに聞いても、せんせーは、それはその時が来たら分かりますよ、てしか答えてくれなくて」
 僕は桂木さんの視線をたどった。そこには壁しかない。いやもしかしたら桂木さんの言うように、ここには隠された扉があるのだろうか。この研究所が必要な人にしか見えないように、ここにも、必要な人にしか見えない扉があるというのだろうか。
「何訳の分からないこと言ってるんですか。いいから部屋に戻りますよ」
 僕は桂木さんの腕をつかんで引っ張った。その腕の冷たさに僕は今度はぞっとする。
「桂木さん、ちゃんとご飯食べてますか?」
「え?」
 桂木さんが僕を見上げた。この人はこんな時でも笑顔だ。力ない、目は笑ってない、それでも笑顔だ。
「さあ……そういえば覚えてないな」
「なにやってるんですか。だめですよそんなんじゃ」
 結局僕の筋力では桂木さんを引っ張り上げるのは無理だった。僕は一つため息をついて、桂木さんの隣に同じように座り込む。
 目の前にあるのはやっぱりただの壁だった。その冷ややかさに何だか怒りが込み上げてくる。もし本当にここに扉があるのだとしたら、僕はともかく桂木さんの前には現れてやってほしい。だってこの人は今きっとすごくそれを必要としている。
「伊東くんさっきからなにしてるの」
「なにって……」
「ともに歩むことはできないけれど、隣に座ることはできるってやつ?」
「単に僕の筋力じゃ桂木さんを引きずっていくことができなかっただけです。すみませんね非力で」
「そしてきみもうらぎるの?」
「は?」
 隣を見ると思った以上に顔が近い。ちょっと近くに座りすぎたかもしれない。
「あの人はともかく、あの子帰したのは桂木さんでしょう」
「そうだったっけ」
 ふと、最初にこの人の相手をしていたあの人と、つい最近までこの人の相手をしていたあの子のことを思い出した。どうして彼らはこの人を置いて行くなんてことができたんだろう。
「僕はそんなことしませんよ。僕にはそんなことできない」
 いや彼らだってきっと、本当は今でもこの人のことが気になって仕方ないはずだ。だって、僕ですらこの数分で思い知らされたのだ。
 こんなやばい人、放っとけない。



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